増田千鶴と町田弘樹はクラスメイトである。

 私立学校の2年生。4月にクラス替えがあり、2人は同じ教室に籍を置くクラスメイトになった。

 増田千鶴、出席番号30番。町田弘樹、出席番号31番。

 この学校では、4月の最初の席順は、その出席番号によって決められている。

 町田弘樹の前の席が増田千鶴の席。本来ならば関わり合いのなかったであろう2人が、それ故に親密な付き合いをすることになった。

(かわいい)

 町田が前の席に座る千鶴を見た第一印象は、その一言につきた。

 場所は2年B組の教室だった。4月のクラス替え。さきほどその顔合わせであるホームルームが終わって、ゆったりとした空気の流れる休み時間である。

 町田は前に座る千鶴の後ろ姿を見つめる。

 染めたわけではない、天然の少し茶色がかった髪。それが肩より少し長めにそろえられており、なんともいえない色気をかもしだしている。

 制服であるブレザーが背中に密着しており、ブラジャーの線がくっきりと見えている。

 身長は若干小柄だが、肩幅が広く、その身長以上に彼女の体を大きく魅せていた。

(それに胸も……大きい)

 今は4月であり、着ている制服は冬用の厚いもの。

 それでも、その大きな胸は隠しきれないようで、明確なラインを主張している。

 少し小柄な体には似つかない巨乳は男の視線を否応なく引き付けていた。

「ねえねえ、町田くんだよね?」

「え、あ……うん」

 突然、千鶴が後ろに振り向いたかと思うと、町田に話しかけてきた。

 美人というよりは可愛いさが際立つ愛らしい顔付き。そして気さくで人見知りのしないような笑みを町田にむけてくる。

「町田くんって、野球部だったよね」

「え?」

「あれ、違ったかな」

「いや、そうなんですけど。でも、増田さんと僕って初対面でしたよね。なんで僕が野球部だって……」

「だって私、ソフトボール部だから。たまに野球部とはグラウンドで一緒になるでしょ?」

 そう言うと千鶴は完全に町田の方へ体を向けた。

 豊かな胸のラインと、見事な脚線美が町田の目に飛び込んでくる。

(うわ。増田さんの脚、ムチムチっとしてて……)

「ん、どうしたの?」

「え? い、いや、なんでも……」

 自分の視線に気付かれたのかとビクつく町田。千鶴は、変なの、と笑いながら話を続ける。

「それで町田くんのポジションってどこなの?」

「え~と、僕はキャッチャーなんですけど……」

「え! 本当!?」

 途端、目を見開いて驚く千鶴。

 次々と表情が変わる彼女の様子を見ているだけで町田は自分の心まで明るくなるのを感じた。

「うん。野球始めた時からずっとキャッチャーやってます。でもそんなに驚くことかな」

「いや、奇遇だな~と思って」

「なにがですか」

「私、ピッチャーなの」

「え、ソフトボールの?」

 そうだよ、と頷く千鶴。

 町田はそんな千鶴の顔を見ながら、去年聞いたソフトボール部の噂を思い出していた。

(確か、女子ソフトボール部にすごいピッチャーが入って、男子ソフトボール部にボロ勝ちして、グランド使用権の主導権を握ったとかいう……)

「それじゃあ、増田さんがソフトボール部に入った、すごいピッチャーだったんですか?」

「ん~、すごいかどうかは分からないけど」

「でも確か、男子ソフト部に勝ったとか」

「ああ、そうそう。その時のピッチャーで間違いないよ」

 えへへと笑いながら、あどけなく言ってのける。

「じゃあすごいじゃないですか。だって男子のチームに勝ったんですよね」

「う~ん、別に大したことじゃないけどね」

「でもうちの学校の男子ソフト部はけっこう強いって聞いてましたけど」

「そうなんだけどね。県大会でベスト8に入ったくらいだから、私も強いんだろうな~と思ってたんだけど」

 千鶴がふふっと余裕たっぷりに笑った。

「私、球種がドロップとライズボールがあるんだけど、変化球を使わなくても楽勝だったよ」

「え、ということは直球だけで?」

「そうそう。しかもカスリもしなかったんだよ? それで完全試合……えへへ、男の先輩達、泣いて悔しがってたな~」

 ニコニコと笑い続ける千鶴。そこにはなんの悪意も見て取れず、無邪気な天真爛漫な女の子がいるだけだった。

 しかし千鶴の言葉は本当だろうかと、町田は疑問に思う。

 千鶴は身長も大きくない。しかも、こんな可愛くて守ってあげたくなるような女の子にそんな芸当ができるとは思えなかったのである。

「あ、でも今、男子と戦っても完全試合は無理かもしれないな~」

「え、どうして?」

「多分1回で終わっちゃうと思うの。そんなのないけど一回コールドみたいな。だから参考記録扱いになっちゃうかな」

「それってどういう……」

「私達の攻撃がずっと続くから。1年生が今年6人入ってきたんだけどね? もうその6人がすごいの。バッティングでも即戦力なんだから。男子のピッチャーって松平っていう先輩なんだけどね? その人じゃアウト一つもとれないんじゃないかな」

 ニコニコと笑いながら話し続ける千鶴。

 話しているうちに千鶴の体は前のりになって、今では町田の机に両肘をつけて接近してきている。

 身を乗り出しているので、千鶴の豊かな胸が机にのっかり、下から押し出され、さらに巨乳ぐあいが強調されることになっていた。 町田はそこに目線がいくのをどうしても止められなかった。

「へ~、じゃあ今年の女子ソフト部はめちゃくちゃ強いんですね」

「うん、少なくとも男子ソフト部よりは強いよね」

「全国とかいけちゃうんじゃないですか?」

「う~ん、まあそれはまた別問題なんだけど」

 そこで千鶴が「む~ん」と唸った。

 不満気な表情を浮かべて町田の顔を凝視している。町田が疑問に思う間もなく、彼女がいきなり両手で町田の顔を挟み込んだ。

「てい!」

「むぐッ」

 困惑する町田。両頬をつかんでいる腕の力はなかなかに強く、町田は目の前に接近した少し怒った感じの千鶴をただただ見つめることしかできなかった。

「私は留年していません」

 至近距離で千鶴が言った。

「高校浪人もしていません」

「む、むう」

「私とあなたは同じ年です」

「うう」

「だから私に敬語は必要ありません」

「…………」

 千鶴は町田の顔をじーと見つめると、ふふふ、と急に笑いながら。

「分かった?」

 やわらかい、優しい声でそう言う。その笑顔は天使のような笑顔で、町田は、自分の心がドクっと脈打つのが分かった。

「うん、分かった」

「よろしい」

 千鶴は、よしよしといった具合に頷きながら、町田の拘束を解く。

「えへへへ、これからヨロシクね。町田くん」

「う、うん」

 町田は頭がポーと真っ白になりながら、ただただ頷くことしかできない。町田は出会って10分もしないうちに、千鶴に堕とされてしまったのである。



 *



 町田と千鶴の接点といえば席が近いくらいものだった。

 だからこそ授業中、町田は千鶴の背中を凝視しながら教師の話しを聞いていた。

 彼女の体から立ち上る芳香は頭をとろけさせてしまうようで心地よかった。

 肩口まで伸ばされた髪の毛は艶やかで見ていていつまでも飽きなかった。たまに彼女が髪の毛を耳の後ろにもってきて整える。その時に浮き彫りとなったうなじのラインに、町田は心を奪われてぼおっと見つめてしまっていた。

 町田は、少しでも千鶴との接点があればそれを大切にして、千鶴との数少ない会話を楽しんでいた。

 そして、その日も数少ないチャンスが町田に訪れた。

 4月上旬。

 1回目の体育の時間では、全国の学校で体力測定が行われる。それはこの学校でも同じであり、男女混合で測定が行われることになっていた。そして、町田と千鶴のクラスは現在、体力測定の真っ最中であった。

(さてと、次は50m走にでも行くか)

 町田はそう決めると、50mのレーンへと歩いていく。男女混合で自分の好きな項目から測定してもいいという自由形式。町田はすでに、ほとんどの測定を済ましたあとだった。

(うん、50mのレーンはすいてるな。前に2組いるだけか)

 二人一組での50m走。

 町田の言うとおりそこには、2つのペアが待機しているのみであった。

 その2組の中には、例にもれず女子の姿もある。半ズボンから伸びる美しい脚線美に町田はくぎ付けになっていた。

「あれ? 町田くんも次は50m走なの?」

 いつの間にか隣に立っていた千鶴が、こちらに話しかけてきた。

 どうやら、町田のペアの相手は千鶴になったようで、そのまま2人は50m走の順番を待つことになる。

 町田は返事をしようと千鶴のほうへ向き直り、彼女の姿を見て、息をのんだ。

「ゴク」

 千鶴の体操服姿。その姿から町田は目を離すことができなくなってしまった。

 なんといってもその胸。

 おそらく1年生の時に買った体操服なのだろう。そのサイズは明らかに合っていなく、千鶴の豊満な肢体がムッチリとはりついている。

 特に大きな胸が体操服にピチピチにはりついており、ブラジャーが透けて見えた。

 さらには半ズボンから伸びるその脚線美。

 むっちりと色気たっぷりの太もも。太いというわけでもなく、引き締まっている印象の脚が堂々とした威圧感をもって伸びてきている。そのムチムチの脚線美は、一瞬でも視界に入れば、そこから目をはなせないほどの魅力を放っていた。

「もう、どうしたの町田くん。急に黙っちゃって。ひょっとして体調でも悪い?」

「い、いやそんなことない。平気だよ」

「そう? ならいいんだけど」

 なおも心配そうに町田のことをみつめてくる千鶴。町田は少し、申し訳ない気持ちになり、しかし千鶴の体から目を離すことはできずに、

「いやホント、全然大丈夫」

「本当に? 無理しないほうがいいよ?」

「平気平気。ちょっとこの頃、野球部の練習がきつくてさ、少し疲れてるだけだから」

「あ、そうなんだ。頑張ってるもんね野球部も」

 千鶴が優しく微笑みかけてきた。その優しさに町田は心が温かくなるのを感じた。

「ところで、町田くんって野球部の中で足、速いほう?」

「ん? いや僕は……遅いほうだね」

「え~、嘘だ~。なんか速そうな感じするよ町田くん。謙遜してるんじゃないの?」

「いや、ホントに……」

「ふ~ん」

 キョトンとした顔を浮かべた千鶴が、ヒマワリの花が咲いたみたいに笑って言った。

「まあでも私にはきっと勝てると思うよ。短距離はね、やっぱり男子のほうが有利だからさ。それに町田くんは野球部だしね。まあお手柔らかに頼むよ」

 えへへ、と笑い、町田の方をポンと叩いてそう言う千鶴。

 町田はその時に揺れた胸とか、甘い千鶴の匂いで、頭が真っ白になるのを感じながら思考をめぐらす。

(まあでも増田さんの言うとおりだな。いくら増田さんがすごいピッチャーだとしても、そこは女の子だから……さすがに……)

「はい、次の組、用意して」

 教師の声が響き、2人はクラウチングのためにかがむ。千鶴の顔からはさきほどまでのおちゃらけた様子は消え、凛とした表情に変わっていた。

「よ~い」

 その合図と共に、2人はスタートのために下半身を上にあげた。千鶴の尻が上に突き上げられる。千鶴の脚線美はより磨きがかけられ、色気と美しさが増したようだった。

「ドン!」

 駆け出す。スタートダッシュをかけるために町田は最初から全力疾走。始めから千鶴を引き離そうとするが、

(え!?)

 引き離されていくのは、逆に町田のほうだった。

 カモシカを思わせるような千鶴の脚。

 地面を蹴るたびに、その2本の脚にグイっと筋肉が浮かび上がり、そして地面を蹴る。

 その筋肉もムキムキとした男のソレではなくて、女性のふくよかな脚に伴うような柔らかそうな筋肉だった。

(すごい……)

 町田は思わず見とれてしまう。

 その脚はスラっと長く伸びており、それがとんでもない動力を生み出していた。俗に言う女の子走りではなく、その走り方は堂々そのもの。

 胸がブルンブルンと揺れているが、見苦しいということではなく、それを支える千鶴の広い肩幅と、その堂々とした出で立ちが彼女の魅力をいっそう引き立てているようだった。 周りで千鶴のことを見ている人間も、その姿にボーと見入っていた。それほどに今の千鶴には輝く魅力があった。

(そ、そんな……)

 ジリジリと離されていく町田は、愕然としながら千鶴の後ろ姿を見つめる。

 自分と千鶴の力の差をいや応なく思い知らされる町田。町田は間違いなく全力。全力で走っているのにもかかわらず、千鶴の体はどんどんと遠ざかっていく。そのままなすすべもなく、町田は千鶴のかなり後でゴールした。

「ふう、はあはあ、はあ」

 ゴールし、息を整えようとしている町田。

 膝に手をついて、はあはあと息を荒げている。と、その目の前に千鶴が歩み寄ってきた。

「町田くん」

「はあ、はあ、ふう」

 えへへへ、と笑い、息さえ切らしていない千鶴。それとは対照的に町田は膝に手をついてしゃがみこんでいる。

 自然と町田は千鶴のことを下から見上げる形になった。

「えへへへ、私の勝ちだね。町田くん」

 えっへん、と胸をはりながら千鶴が言う。

 下から見上げる町田と、千鶴の見下ろす視線がぶつかる。千鶴はニコニコと笑っていた。町田はそんな視線を受けて、ひどい羞恥心にかられた。

 顔が赤くなり、目をそむける。

 自分の好きな女の子に、走りで負けた。かりにも野球部という運動部に所属している自分が女の子に負けてしまった。

 千鶴の美しい肢体に対して町田は言葉で表現することが難しいプレッシャーを感じていた。

「はあ、はあ、は……本当、増田さん、速いね、はあ、ふう……すごく」

「そんなに息きらしながら喋らなくていいよ、も~。ほら深呼吸して」

 町田とは違い、息など切らしてない千鶴が、心配顔をしながらそう言う。

 町田はそんな言葉に従うように、一呼吸二呼吸、深呼吸をして自分の息を整える。

 はい、深呼吸~、と言いながら、自分も、すうーっと息を吸う千鶴。そのせいで千鶴の体はそり返り、その豊満な体と胸がさらに強調されることになった。

(ほんと……ほんとうに大きいな)

 千鶴の巨乳を凝視しながら、深呼吸を繰り返す町田。それに気付いているのかいないのか、千鶴は無邪気な笑顔で「吸って~、はいて~」と深呼吸のお手本みたいなものを見せている。

「ふう。うんもう大丈夫。ありがとね、増田さん」

「なんのなんのお安い御用ですよ、これくらい」

 ふふっと笑う千鶴。その笑顔は足の速さで完敗したことを取り繕おうとしていた町田の心を優しく溶かした。

「そうだ。町田くんはまだ残ってるのある?」

「え? 体力測定のこと?」

「そうそう」

「えーと、僕はあと一つだね。握力測定がまだ残ってるよ」

「あ、私も私も。私もあと握力測定だけだよ。町田くんも最初すっごい混んでたから、握力測定あとにまわしたの?」

「うん、そう。だってすごい行列だったからね。面倒くさくなっちゃって」

「じゃあ、一緒に行こうか。町田くん」

「そうだね。格技場だったよね、握力測定は」

 2人は格技場へと歩いていく。50m走を計ったグラウンドから格技場へは歩いて5分くらいの距離にあり、2人の足取りは自然に速くなる。

(うわ、歩いただけで揺れるんだ)

 並んで歩いている千鶴の胸を盗み見る町田。

 普通に立っていればやはり町田のほうが背が高いのであるが、さきほどから町田の脳裏には千鶴を仰ぎ見た感覚が残っており、自分よりも小柄な千鶴に一種の恐れのようなものを感じていた。

(でもやっぱり、僕は増田さんのことが……)

 いつしか町田は千鶴のことをボーと見つめていた。

 大きな胸に、すらっと伸びた脚線美。そして愛くるしいその横顔。

 それを見つめているうちに、町田は自分が千鶴に呑み込まれていくのを感じた。もう二度と、千鶴には勝てないようなそんな気持ちさえ芽生えていった。



 *



 格技場に到着すると二人はさっそく中に入った。

 計測係もおらず、順番を待っている生徒すら一人もいなかった。

「うわ、みんなもう終わってるみたいだね」

 シーンと静まりかえった室内で千鶴が言った。

「そうみたいだね」

「あちゃ~、ちょっとのんびりし過ぎたね」

「でもまだ時間もあるから大丈夫だと思うよ」

「ま、そうだね。それにしても貸し切りだね」

 つまりは2人きりということ。町田はなにか自分の心臓がドキドキと脈打つのを感じた。

「じゃあ早速計ろうか」

「そうだね」

 よいしょ、という感じで町田は握力測定器を手にとる。

「あ、僕からでいいのかな」

「どうぞどうぞ。ここは一つ、男の力ってものを私にみせてくださいよ」

 おどけた感じにそう言う千鶴であったが、町田ははなからそのつもりだった。

 さきほどは50m走でボロ負けしたということもあり、この握力では千鶴にいいところを見せようと張り切っているのである。

 握力という、いわばただ力だけが要求される項目。これで男の自分が負けるはずがなく、さきほどの汚名を返上しようと、町田は気合が入っていた。

「ふ!」

 掛け声とともに、左腕に力をいれる。

 渾身の力で、これ以上ないというくらいに力をこめる。腕はプルプルと震え、これ以上の力は出せないというところまで。

「よし」

「はい、計測器見せて」

 千鶴に言われたとおりにする。自分としては手ごたえがあった。おそらく40の後半は確実にいった。これで少しは千鶴のことを見返せたと思うのだが……。

「47」

 少し困惑気味に呟く千鶴。町田は47という数字に「よし」という掛け声をするが、

「え? ちょっと町田くん、マジメにやりなよ。47って……」

「え、なんで? じゃあ次は右だね」

 町田は千鶴の信じられないという表情が理解できないようで、そそくさと右の握力を計る。そしてそれを千鶴に渡して、

「49……じゃあやっぱり本気なんだ」

「増田さん、さっきからどうしたの?」

 いつものニコニコした様子がなく、少し困惑している様子の千鶴。

 しかし次の瞬間には納得したように頷きながら、町田にむかって言葉をつくる。

「うん。よしじゃあ次は私の番だね。町田くんには悪いけど、今回はちょっと勝負にすらならないんじゃないかな」

 千鶴がニコニコと笑顔を浮かべながら、握力測定器を左腕に握った。

「えい!」

 かけ声と共に、千鶴の腕に力がこめられる。

 力は一瞬だけ。千鶴は、ふう~と息をつくと、測定器を町田に手渡した。

「はい、町田くん」

「う、うん」

 千鶴はニコニコと余裕な感じで結果を待っている。

 町田が測定器の数字に目をやった。

「105!?」

「えへへへ、左は私の勝ちだね。じゃあ右は」

 間髪いれずに、右の測定を開始する千鶴。やはり「えい!」という可愛らしいかけ声と共に、力なんて入れていないかのような様子で握力を測定する。

「はい、どうぞ」

「う、うん」

 恐る恐る、町田が計測器の数字を覗き見た。

「110!?」

「えへへへ、はい、右も私の勝ち」

 無邪気に笑いながら、町田のことをみつめる千鶴。町田は計測器と千鶴の顔を交互に見ることしかできなかった。

「もう、しっかり鍛えなきゃダメだよ町田くん。私の半分くらいしか握力がないようじゃダメだぞ~」

 ニコニコと笑いながら、悪意もなくそんなことを言う。

 町田はそんな千鶴に、疑いの眼をむけた。

 千鶴の腕は細い腕である。いかにも女の子の腕といった細い腕。少しがっしりしている感じもあるが、それはスポーツをやっていればこそで、やはり「女」という範囲をこえることはなかった。

(本当にこの数字は増田さんが……なにかズルをしたのかも)

 町田はそんなふうに疑いの目線を千鶴にむける。すると、

「あ~、町田くん。私がズルしたんじゃないかって思ってるでしょ?」

「い、いやそんなことは……」

「まったく、いいもん。今すぐにズルじゃないってことを証明してあげるから」

 そう言うと千鶴は、町田に接近していった。町田が驚いたようにビクついて後ろに逃げようとするのだが、千鶴がそれを許さない。

「えへへへ、こうしてくれる~」

 千鶴が町田の手を握った。右手で町田の左手を、左手で町田の右手を。まるで恋人つなぎのように絡ませて握る。

「泣いても許してあげないぞ~」

 おどけたように言う千鶴。町田はただ困惑して、千鶴の体温と接近した千鶴の顔を見つめる事しかできなかった。

「えへへへ、えい!」

「ガハア!」

 手に力がこめられる。その途端、町田の口から悲鳴があがった。

「ほら、ほら、ほら」

「痛い、痛いって!」

 ニコニコと笑いながら、ギリギリと町田の手を絞めつける千鶴。

 町田の指と手首は反り返り、徐々に骨折の危険性があらわれてくる。

 とてつもない力が町田の手にかかっており、その激痛は想像を絶するものがあった。町田の表情は早々に痛みと苦しみに歪み、なんとも情けない表情を浮かべている。

「えへへへ、これで私がズルしてなかったってこと分かったかな、町田くん」

「やめて! 増田さん、痛い、痛いって!」

「あ、分かってないんだ。じゃあ、もっと力いれちゃうぞ」

 えい、というかけ声と共に、さらに力がこめられる。町田は自分の手首がありえない方向に曲がっていくのを見ながら、その激痛に背筋を震わせた。

 なんとかその激痛から逃れようと、町田は膝を地面につけてなんとか手首の稼動範囲を保とうと試みる。

 しかし、千鶴がひざまずく町田の上から覆いかぶさるようにして手を絞めつけていき、楽になるのを許さない。

 仁王立ちの千鶴と地面にひざまずく町田。千鶴がニコニコと笑いながら、苦しんでいる町田を見下ろす。

「ほらほら、私はまだ力全然いれてないんだよ? それで分かったのかな町田くんは。私がズルしていないってこと……分からないっていうなら、このままこの手首折っちゃおうかな」

 えへへへ、と笑いながら、さらに腕に力をこめて言う。

「やめて! やめて―――!」

 ついに町田はボロボロと涙を流し始めてしまった。

 眉を下げ、涙を流し、鼻水をグジョグジョにする。そんな汚い顔で、町田はひざまずきながら千鶴に許しを哀願する。

「許して、許してください。お願いします。分かりましたから、分かりましたから……増田さん、許して」

「なにが? なにが分かったのかな」

 楽しそうな感じはそのまま。無邪気な子供が玩具で遊ぶような感じで、千鶴が町田のことを虐め続ける。

「増田さんが、増田さんがズルしてなかったってこと。分かったから」

「えへへへ、ちゃんと私の目を見て言おうね」

 さらに、グイっと力をいれる。

「あぎゃああああッ!」

 町田の手首は限界近くまで反り返り、あと少しでも千鶴が力をいれたら完全に折れてしまうというところまでいきつく。

 町田は言われたとおりに千鶴を見上げ、言われたとおりに千鶴の目をみつめる。

 ひざまずいている町田と、それを見下ろす千鶴。完全にパワーの差が歴然となっており、どちらが上なのかが一目で分かる現在の状況。

 町田は、千鶴の目を見ながら、なんとか許しを得ようと心をこめて哀願した。

「増田さんがズルをしなかったってことはよく分かりました。だから…だから許して……!」

「ホントに? ほんとに分かったのかな~?」

「ほんとうに、ほんとうに分かりましたから、だから」

「ふふふ、良し。許してやろう」

 ふざけたようにそう言うと、千鶴が町田への絞めつけを解いた。仁王立ちの千鶴が満面の笑みで町田を見下ろす。

「これで分かったでしょ? 握力は私の方がず~と強いんだってこと」

「う」

「えへへ、私の圧勝だね、町田くん」

 町田はひざまずきながら、千鶴のことを見上げた。

 堂々としたその出で立ち。胸をえっへんと突き出しているので、その巨乳具合がさらに強調されていた。

 さらに目を下に向ければ見えてくる、脚線美。

 すぐ目の前にあるその脚はとんでもない魅力を放っており、色気たっぷりのムチムチとした太ももなのであるが、女の子らしいそのふくよかな脚は、自分が走りで到底勝つことのできない力をもった脚なのである。

 その千鶴の体すべてに対して町田は完全に屈服していた。

(勝てない。僕は増田さんには……)

 ひざまずいている町田。眉を下げ、犬のように怯える顔色。それを千鶴がニコニコと無邪気に笑いながら見下ろし続けるのであった。



 ●●●



 体育の体力測定で完敗してからも、町田の千鶴のことを慕う気持ちは変わらなかった。

 それどころか、その思いはさらに増していた。

 大きな瞳と小柄な体。それには似合わない大きな胸と鍛え上げられた脚。

 それだけでもギャップがすごいのに、彼女はその容姿からは考えられないほどの怪力を有している。自分では決して敵うことのない力。その力がひとたび自分に対して向けられれば、ひどいことになる。彼女の思うがままにされ、自分は泣き叫んで許しを乞うだけだ。あのときの体力測定のように。

(けっきょく、僕は増田さんに一つも勝てなかった)

 町田が思い出しているのは体力測定の結果だった。

 すべての測定が終わった後、町田は千鶴からその結果を見せてもらったのだ。

 結果は惨敗。

 一つの競技として、彼女に勝るものはなかった。中でもハンドボール投げはぼろ負けだった。千鶴は男性の部でもぶっちぎりの一位をとるほどに遠くまでボールを飛ばしていた。

「なんでそんなにすごいの?」

 体力測定の結果が配られた体育の授業の日。

 町田はその結果を見て思わず千鶴に質問をしていた。

 彼女の怪力はあまりにも常人離れしているように思えた。

 千鶴の体格からして、あそこまでの力をもっているのが不自然に思えて仕方なかったのだ。

「う~ん、まあ、子供のころから体が強かったんだよね、わたし」

 千鶴はなんでもないようにそう回答した。

「子供のころってどれくらい?」

「生まれたときから?」

「あ、赤ん坊の時からってこと?」

「そうみたい。赤ちゃんのときにお父さんの手を握ったことがあったみたいなんだけど、すごい握力だったって言ってたよ。お父さんがそれで泣いちゃったんだって」

「へー」

「うちの家系はだいだい女性が強いみたいなんだ。お母さんもそうだし、お姉ちゃんもそう。強いていえば遺伝になるのかな。下手な男子に比べて力が強いの」

「でも、なんでだろうね。そんな筋肉だってついてないのに、あんな力」

 そこで町田は千鶴の体をまじまじと見つめた。

 ムチムチとして柔らかそうな体だった。触ればぐんにゃりと沈み込みそうな柔肌。おそらく、抱きしめればその豊満さに身も心も昇天してしまいそうな女体だ。腕も足もそれに変わりはなかった。

「あ、町田くんったら、わたしのことバカにしてるな?」

 千鶴が言った。

「筋肉なんてないぶよぶよに太った女だって、バカにしてるでしょ」

「い、いや、そんなことないよ」

「ぜったい嘘だ。よーし、見てなよ」

 言うと、千鶴がジャージの袖をめくって二の腕をあらわにした。

 それを町田に見せつける。柔らかそうな脂肪ののった腕だった。何がしたいのかと思う間もなく、千鶴が「よいしょ」と可愛らしい声と共に力をこめた。すると、

「う、わあ」

 町田の驚きの声。

 彼の目の前には、皮下脂肪を食い破って現れた太い筋肉の腕があった。

 男のような堅そうな武骨な筋肉ではなく、野生動物が自然と身につけるような柔軟そうな筋肉。その躍動感が見ているだけで分かって、千鶴の力の強さを知ることができた。

「ね、これで分かったでしょ?」

 力こぶをつくった千鶴が満面の笑みで言った。

「ちゃんと鍛えてるんだよわたし。きっと、町田くんより筋肉あると思うよ」

「そ、そんなこと」

「じゃあ、力こぶつくってみてよ」

「え、いや」

「なに? 負けるのが怖いのかな?」

 ニヤニヤと猫のような笑みを浮かべて千鶴が言う。

 その間も彼女は柔軟なガゼルのような筋肉を町田に見せつけていた。

「そ、そんなことないよ」

「じゃあ、ほら早く」

 ここまで言われて町田としても引き下がるわけにはいかなかった。

 町田は千鶴と同じように腕を曲げて全力で力をこめて力こぶをつくった。結果は歴然だった。

「ふふっ、なにそれ」

 勝ち誇ったように千鶴が言った。

 町田の力こぶは千鶴のそれの半分以下の大きさであることは明らかだった。

 見るだけで力の差が歴然とわかってしまう。

 町田は信じられないものを見るように、自分の力こぶと千鶴の力こぶを見比べていた。

「勝負にもならないじゃん。男の子のくせに、女の子に力こぶで負けちゃってるよ?」

「う、ああ」

「ほら、よく見てよ。ぜんぜん違うよね」

 獲物をいたぶるように、千鶴が自分の腕を町田の腕に重ねた。

 その違いが如実に現れる。

 町田は愕然として下を向いてしまった。

「脚もすごいんだよ」

 そんな町田の様子に満足したのか、千鶴が続けた。

「見ててね。えーと、あ、ちょうどいいのがあった」

 彼女は近くに落ちていたサッカーボールを手に取った。

 サッカー部が回収し忘れたボールだ。

 新品の真新しいもの。それを千鶴はなんのためらいもなく股の間に挟み込んだ。

 彼女のムチムチの太ももがサッカーボールを捕食してしまったかのような光景だった。

「いくよ?」

 ぎゅううううッ!

 太ももに力がこめられる。

 現れたのは筋肉の束だった。あのムチムチしていた太ももの中に、どうやってこれほどまでの筋肉を隠していたのかと思うほどの力の源。ガゼルのようなしなやかな筋肉が、皮下脂肪の下から生まれ、千鶴の太ももは一変していた。

 もともとの脚の太さの倍はあるのではないかと思うほどに膨張した下半身。当然、その間に挟まれたサッカーボールはひとたまりもなかった。

 ぎりぎりと何かが潰れている音が響く。

 その力はあまりにも規格外すぎた。哀れなサッカーボールは「パン」と乾いた音を響かせて、ぷしゅーっと断末魔の悲鳴をもらした。それすらも千鶴の太ももの締め付けが奪い取り、すぐさまサッカーボールの空気がなくなるまで絞め墜とし、ぺしゃんこにしてしまった。

「あ、やりすぎちゃった」

 なんでもないように千鶴が言った。

 彼女は太ももの中から潰れたサッカーボールの残骸を掴んで取り出した。

 それはもはや跡形もなかった。さきほどまで新品だったボールが老人のようにしわしわのぺちゃんこになってしまっている。千鶴はそれを町田に見せつけると、勝ち誇って言った。

「ほら、すごいでしょ。わたしの脚、こんなこともできちゃうんだよ」

「う、うう」

「町田くんじゃ、こんなことできないと思うよ。太ももの挟む力だけでぺしゃんこにしちゃった。サッカー部には悪いことしたけど、まあ、ボールをちゃんと片付けないほうが悪いよね」

 千鶴はそう言ってサッカーボールの残骸を地面に捨てた。

 そして、悪ぶるようにその残骸を靴で踏みつぶす。

 ぐりぐりと力強く踏み潰しながら、千鶴は町田の目をじっと見つめていた。

 自分の力を見せつけるように、千鶴はサッカーボールの原型が留まらなくなるまで、踏みつけをやめなかった。



 *



 町田は、千鶴に対する気持ちがますます強くなるのを感じていた。

 出会った時からすでに、町田は千鶴の魅力にまいってしまっていたのだった。

 町田の視線は常に千鶴に注がれていた。

 教室では極力自分の席から動かないようにして、千鶴の近くにいることを心がけた。彼女の声を聞くのも好きだった。彼女のにおいを嗅ぐだけで幸せな気持ちになれた。

 休み時間。

 千鶴が自分の席で友達と談笑しているとき、彼女は横をむいてその長い脚を投げ出していることがあった。

 そうなれば町田の意識はすべて千鶴の太ももに集中する。周りがどう見ているとか、千鶴に気づかれてしまうのではないかとか、そんなことを考える余裕はまったくなかった。

 そのムチムチした脚。

 皮下脂肪がたっぷりで、今にもぷるんと震えそうな柔らかそうな太ももは、しかし、かりそめの姿に過ぎない。

 ひとたび牙をむけば、目の前の太ももは強靭な筋肉をまとい、獲物を蹂躙する。

 あの潰されたサッカーボールのように、ひとたまりもなくボロボロにされてしまう。抵抗しても無駄で、彼女の脚に勝つことなんてできない。

「え~、本当に?」

 千鶴の可愛らしい声が響く。

 彼女はそのまま、無造作に脚を組んだ。右太ももを左の太ももの上にみっちりと乗せて座った千鶴。

(う、わあ。すごい)

 それだけで、彼女の太ももからくっきりと筋肉の筋が浮き出てきた。

 力をこめてはいない。あのサッカーボールのときのような圧倒的な筋肉の膨張ではない。しかし、その野性の力の兆候はそれだけで感じることができた。その迫力と美しさに、町田の視線はくぎ付けになってしまう。

「ふふっ、え? ほんと?」

 そのとき、ちらっと千鶴が横目で町田のほうを見てきた。

 その瞳がにんまりとした笑みに変わる。

 凝視していたことに気づかれた。そのことに町田の心臓が脈打って、さっと視線をそらした。

「まあしょうがないか」

 そんなことをつぶやいて、千鶴が再び友人たちと談笑を始めた。

 千鶴と友人たちがクスクス笑いを浮かべ始める。

 町田はそちらに意識を向けないように必死で、最後まで彼女たちの視線に気づかなかった。その鈍感さが、彼の運命を大きく変えることになる。



 ●●●



「ふ~、疲れたね~」

「そうだね。もう日も暮れちゃってるし」

 夜の学校。

 時刻は7時を過ぎており、もう外は暗闇に染まっていた。それにもかかわらず、町田と千鶴の2人は自分達の教室に残っている。

 教室には2人の姿しかなく、おそらく学校の校舎内に残っている生徒はこの2人だけだろう。

 辺りはシンと静まり、周りに他の人間がいないことを教えてくれる。

 なぜこの2人がこんな夜遅くに、部活でもなく学校に残っているかというと、それは今日の日直はこの2人であり、運悪いことに2人は今日行われた生徒会によるアンケートの集計を担任から任されていたからである。

 そのアンケートはかなりの分量があり、この時間までやっても今だに終わらない。さすがの千鶴も疲れているようで、疲労困憊とした様子がその表情からも見て取れた。

「ねえ、町田くん。ちょっと休憩しない? アンケートの集計、まだ半分くらいあるんだしさ。休んでそれからイッキにやっちゃおうよ」

「うん、そうだね。そうしようか」

 町田の言葉に、千鶴は「やった~」と言いながら、机に突っ伏した。机に上半身を押し付けて眠るような感じで、ふう~と息をはく千鶴。

(うわ、増田さんの胸、机につぶされて……めちゃくちゃ柔らかそう)

 町田は千鶴の胸を凝視する。

 制服の上からもはっきりと分かるその巨乳が、机に突っ伏すことによって、ぎゅうっと潰れている。

 町田は目の前で幸せそうに目を瞑っている千鶴を穴があくように見つめ続けていた。

(すごく可愛い。だけど)

 千鶴を見つめる視線はそのままで、町田は何か、千鶴に対して劣等感のようなものを感じている自分を発見した。

 先日の体力測定で完膚なきまでに負けた件。彼女の魅力に自分は参ってしまっていること。そのすべてが千鶴に対する劣等感のようなものに変わっていく。

(男の僕が、女の子の増田さんにあらゆる面で負けてるなんて)

 それでも千鶴のことが好きだという気持ちは変わらなかった。

 だから町田は、今も瞳を閉じて休憩している千鶴のことを見つめ続けている。

 いつもはチラチラと盗み見る程度なのだが、今は千鶴に気付かれる心配も、周りの人間に気付かれる心配もない。

 町田は、千鶴の顔、胸、太ももなどを興奮した面持ちで見つめ続け、

「そうだ、町田くん」

「え、な、なに?」

 急に上体を起こし、町田のことを正面から見つめる千鶴。

 町田は自分の視線に気付かれたのではないかとビクつくが、それは杞憂だったようで、

「ねえねえ、腕相撲しない?」

「え……いきなりどうしたの?」

「ほら、今日、月曜日で部活は禁止、家で勉強しなさいっていう日でしょ? いつもだったら自主練とかするんだけど、今日はアンケートの集計でできないしさ。体がなまっちゃうなって」

 ダメかな? と横に首をかしげながら、手を組んでお願いしてくる千鶴。そんな表情をされて、町田が断れるはずもなく、

「いや、いいよ。やろうか、腕相撲」

「ほんと? ありがとう町田くん」

 えへへ、と笑いながら、腕のストレッチを始める千鶴。

 腕を上にあげ、肘をつかんで肩の筋肉を伸ばす。

 その際、千鶴の上半身は後ろに反るような形になって、千鶴の胸がグイっと前に押し出る。その結果、今にも制服が破れてしまいそうなくらいに、ピチピチに胸がはりつくことになった。

(く、すごい胸……いやだけど今は腕相撲に集中しなくちゃ。純粋な力の勝負。いくら増田さんがすごいからって、男としてはなんとしても勝たなくちゃ)

 手加減などしない。最初から全力でなんとか勝利してみせる。町田の目からはそんな熱意がありありと見て取れた。

「それじゃあ始めようか町田くん」

 右肘を机につけ、スタンバイの姿勢をとる。

 長袖のブレザーをまくりあげて、二の腕の部分まで素肌が見えるようになった。その美しい二の腕に、町田は心を揺さぶられながらも、千鶴と同様に右肘を机につけた。

(勝たなくちゃ、絶対に勝たなくちゃ)

 千鶴に勝つことは、体力測定で完敗した自分のプライドを取り戻すことにもなる。絶対に勝つ。町田は真剣な表情で千鶴と向かい合った。

「じゃあいくよ。よ~い、どん」

 かけ声とともに、町田は全力で右腕に力をいれた。

 体全体を使うように、上半身を倒れこませて自分の体重さえも力に変える。全力の全力。男が故の手加減なんて微塵もなく、町田は全力で千鶴を負かしにかかっていた。

 しかし、

(ビ、ビクともしない)

 町田の全力の力。しかし腕の位置は最初から動いてはいなかった。壁のような、圧力をもった何かに完全に無効化されている。

「え? 町田くん……いいの?」

 キョトンとした感じの千鶴。それは信じられないというよりは、何が起こっているのか分からないといった表情だった。

「うわ、これはひどいな……」

 千鶴の瞳に軽蔑の色が浮かんだ。

 さらに腕に力をこめる町田だったが、腕がプルプルと震えるだけだった。頭上から、ため息が聞こえた。

「あ~あ、やっぱり町田くんは私より弱いんだね」

 ふふっ。

 嘲笑の笑い声。

 今までとは違った人を小馬鹿にしたような声が聞こえた。

 町田の背筋が震えた。

 絶望と共に町田が顔をあげると、そこにはニンマリとした笑みを浮かべる千鶴がいた。その表情に町田は「ひい」と悲鳴をあげた。

「えへへへ、じゃあ私、ほんの少しだけ力いれちゃうよ?」

 ニコニコと笑いながらの宣言。

 千鶴が無邪気に笑顔を浮かべながら、腕に力をこめる。

 ゆっくりと、ゆっくりと町田の腕が下がっていく。

「く、くうううッ!」

 町田は全力で抵抗を試みていた。

 顔を真っ赤にして、歯を食いしばった必死の形相。

 それとは対照的に、千鶴は頬づえをつきながら楽しそうに必死の男の子を鑑賞している。

「お、やるじゃん町田くん。ほら、もっと頑張って」

 町田の健闘は町田の力ではなく、千鶴がほんのちょっとしか力をいれてないからである。 からかわれていることが分かっていたものの、町田は必死に力をこめるしかなかった。

(なんで。どうして……こんな)

 全力を出しているのに、自分の腕は少しづつ机にむかって落ちていく。

 その有無を言わせない力の強さを目の前で見せつけられると、どうしても認めるしかなかった。

 目の前の女の子には勝てない。

 自分は女の子にも勝てない劣った存在。

 勝負の途中で、町田の心は完全に折れてしまった。それを逃さず、千鶴の瞳がキラリと光った。

「はい。手加減タイム終了~」

 いきなり町田の左手が机に叩きつけられた。

 ズドンッというすごい音が教室中に響いた。

「ひいいいいいッ!」

「えへへへ、はい、私の勝ちだよ町田くん」

 町田の左腕を机に押さえつけながら、無邪気にそう言う千鶴。

 町田の顔は苦渋に歪んでいて、目からはポタポタと涙がこぼれている。叫び声をあげたせいか、口の周りには涎がこびりつき、なんとも汚らしい表情になっていた。

「町田くん。女の子に負けちゃって恥ずかしくないの?」

「やめて、増田さん。お願い」

「私、全然力いれてないんだよ? それなのに町田くんは顔を真っ赤にしながら頑張ったのに、私の腕をまったく動かせない。えへへ、弱いんだね、町田くん」

「許して……もうやめて増田さん」

「ダメだよ。やめてほしいなら、ちょっとは私の腕を動かせなくちゃね。町田くん、両腕を使ってもいいから、私の腕を1ミリでも動かしてみようよ。そしたら許してあげても良いよ」

「りょ、両腕で?」

「うんそうだよ。ほら、早くしないと」

 グググ。

「ああああッ!」

 千鶴が腕に力をこめると、ミシミシという音が町田の左手から聞こえてきた。町田の手が千鶴の手と机にサンドイッチにされてジワジワと潰れていく。町田の手に激痛が走った。

「あははは、ほら町田くん。君の手からミシミシって音が聞こえるよ? このままじゃ使いものにならなくなっちゃうんじゃない? ほら、早く両手で頑張って……早くしないと本当に潰しちゃうから」

 えへへ、と笑う千鶴。

 その言葉に町田は「ひい」と悲鳴をこぼす。そしてすぐに千鶴の手を両手で握り、持ち上げにかかった。

「くはああああッ!」

 両手を使い、全力で千鶴の腕を押しのけようとする町田。

 千鶴は言わずもがな片手のままである。

 左手一本で町田の両腕と対峙する千鶴。単純計算で1対2の圧倒的に不利な状況。本来なら勝負にすらならないと思うが、

「えへへへ、よわ」

 ドスン。

「がああああああッッ!」

 千鶴がほんの少し力をいれただけで、町田の両手は机に叩きつけられてしまった。

 机が割れてしまうのではないかという衝撃と破壊音。しかも勝負がついても千鶴は町田の手を握りしめたまま机に押し付け続けた。町田の悲鳴がやまなくなった。

「あっギャアああッッ!」

「あははっ、すごい悲鳴だね」

「ああああっ! やめて―――!」

「やめてあげないよ。ほら頑張って町田くん。頑張らないとこのままず~と町田くんのこと鳴かせ続けちゃうよ」

「許して! もう本当に許してえええッ!」

 もはや町田の顔は涙と鼻水でグショグショだった。

 目を見開き、口を大きく開けて苦しみに悶える。

 手の痛みは限界に近く、激痛で意識が飛んでしまいそうだった。本当に両手がこのまま潰れ骨が砕かれてしまうのではないか、町田は恐怖に狂いそうだった。

「ふふふ、町田くんって本当に弱いよね」

「やめてえええッ。増田さん、お願いいいッ」

「今も叫び声しかあげられないし。よわすぎ」

「たすけて……もう許してええッ!」

 泣き叫ぶ町田のことを千鶴が飽きもせずに鑑賞していた。彼女は町田の悲鳴と情けない表情を存分に堪能した後で、「ふふっ」と笑った。

「かわいそうだからこれくらいにしてあげるよ」

 ようやく千鶴が町田の手を離した。

 やっと激痛から開放された町田が悶え苦しみながら、痛めつけられた手をさすり始める。そんな男に向かって妖しげな笑みを浮かべた千鶴が話しかけた。

「ねえ町田くん。これで分かったと思うけど、私がその気になれば、町田くんのことなんてボコボコにできるんだよ」

 放課後の教室。

 辺りはシーンと静まり返り、周りに人がいないことを教えてくれた。

「誰も学校にはいないよ」

「ひ、ひい」

「今、町田くんのことを助けてくれる人は誰もいないんだよ。えへへ、私がその気になれば君はなんの抵抗もできずにボコボコにされちゃうんだよ」

 千鶴が妖艶な笑みを浮かべながら町田に顔を近づけた。

 目と鼻の先に迫った千鶴の顔。ニンマリと笑った彼女が嗜虐的な表情を浮かべながら町田のことを凝視してくる。町田は絶望に染まった顔で千鶴の視線を甘受するしかない。あまりの恐怖から、町田がいやいやをするように首を横にふり始めた。

「ふふっ」

 千鶴がニコニコとした笑顔で見つめてくる。

 じいっと、まるでペットでも眺める飼い主みたいな視線で千鶴が町田を鑑賞している。その姿は堂々としたものだった。町田のビクビクした様子との対比で、千鶴の神々しさはさらに増していく。町田がそんな千鶴の圧倒的な存在感に体を震わせた瞬間だった。

「な~んてね」

 千鶴が純粋無垢に笑って言った。

 さきほどまでの迫力はなくなり、いつもの天真爛漫といった様子の彼女に戻った。町田は何がなんだか分からない呆けた顔をしながら千鶴の声を聞いた。

「そんなひどいことしないよ。怖がらせちゃったかな」

「え、あ」

「ふふっ、町田くんったら、すごい顔してたよ? わたしのこと心底怖がってることが分かる顔で、ちょっとかわいかったかも」

 町田にもだんだんと事態が呑み込めてくる。

 激痛が走る両手をさすりながら町田が言った。

「ちゃ、ちゃかさないでよ」

「ごめんごめん。それじゃあ、アンケートの集計、続きやろうか」

 千鶴が再び紙面に視線を落とした。

 そのまま、もくもくと数字を数え、それを集計用紙に書き込んでいく。

 そんな彼女のことを見つめながら、町田はどうにもこうにも、千鶴のことで胸がいっぱいになってしまっていた。目の前の可愛らしい彼女。童顔で巨乳で、とても魅力的な女性だ。

 しかし、目の前の少女は自分よりも格段に力が強く、彼女が本気を出したら、本当に自分はめちゃくちゃにされてしまう。

 その客観的事実がさきほど骨の髄まで叩きこまれてしまった。それは恐れに繋がって不安をつくるのだが、それだけではなく自分の胸の中にドキドキする気持ちも芽生えさせていた。

 町田は、その新たに生まれた感情に名前をつけることができなかった。ただ、ますます、千鶴に対して惹かれる思いが強くなるのを感じていた。



●●●



 千鶴に腕相撲で負けた後も、町田と千鶴は変わらずに友人として付き合っていた。

 あの夜の力勝負のことは話題にはせずに、気さくに話しかけてくれる千鶴。

 町田はそんな彼女の優しい気持ちに対してホっとしながらも、どこかプライドが傷つけられるのを感じていた。

 昨日見たテレビの話題だとか、YOUTUBEで面白い動画を見たなんてたわいもない話しを笑いながらしてくる千鶴を前にすると、町田はどこか落ち着かない思いに苛まれるのを感じていた。この目の前の少女は、自分よりも力が強い。彼女がその気なら、自分はボコボコにされてしまうのだ。それは町田の男としての矜持みたいなものを傷つけるのに十分だった。

 それでも、やはり千鶴は可愛かったし、とても魅力的だった。彼女の制服に張り付いた大きな胸や、スカートから伸びる真っ白なムチムチした太ももを見るたびに、町田はそこから目を離すことができなかった。

 授業中も、目の前の席に座る千鶴の背中や髪の毛をぼうっと眺めた。教室で前から配られた配布物を千鶴から受け取る際には心臓が躍った。

 休み時間中も視線は自然と千鶴の姿を追い、チラチラと彼女のことを見つめ続ける。千鶴の天真爛漫そうな笑い声が響くと視線がそこに吸い込まれ、彼女の笑顔に心が温かくなった。

「まあ、確かに増田ってかわいいよな」

 5限目が終わった休み時間中。

 いつものように町田が教室内で千鶴のことをチラ見していると、同じ野球部の佐藤が声をかけてきた。2年生ながらエースの重責を担っている男だ。佐藤は「だからってさ」と前置きをした上で言った。

「おまえ、いくらなんでも増田のこと見過ぎじゃね?」

「そ、そんなことないよ」

 町田は狼狽して否定した。

「いや、だって俺でだって気づくぞ。お前がいつも増田のこと見てるって」

「そんな、いつも見てるわけじゃ」

「おいおい、他の女子も結構話題にしてるくらいなんだからな」

 それは初耳だった。

 町田は顔を真っ赤にして逃げ出したい気持ちになる。

「まあまあ、町田の気持ちも分かるぜ」

 そこで話に割り込んできた宮下が言った。

 同じ野球部のショートストッパー。佐藤や町田と同じく2年生にしてレギュラーを任されている男で、リーダーシップに優れており、新チームとなればキャプテンになることが半ば決定されている優秀な男だった。

「だって、なんといってもあの胸だから。歩くたびに揺れるの。制服ごしなのにさ」

「ああ、脚もちょっとエグいよな。俺もたまにあいつのことオカズにしてるわ」

「性格も明るいしさ。誰に対しても分け隔てなく接してるしスポーツ万能ときてる」

「おまけに、頭もいいんだろ?」

 佐藤と宮下の言うとおり、千鶴は頭もよかった。

 この前の中間テストでは特進クラスの勉強ばかりしている生徒たちをおさえて堂々の学年1位。全国模試でも上位に食い込んだらしく、教師が千鶴のことを絶賛していた。町田はそんな千鶴のさらなる優位性を見せつけられると、ますます千鶴に対して劣等感を覚えるのと同時に、彼女に惹かれていくのだった。

「見えねえよな。頭よさそうには」

「逆にバカっぽく見えるよな。やっぱあの胸か?」

「巨乳がバカに見えるってやつか。まあ、それもあるかもな」

「昨日も、隣のクラスの男が増田に告白したみたいだぜ」

 その言葉に町田は石になる。

 ガツンと後頭部を殴られたみたいになって動揺してしまう。なんとかかんとか、町田は佐藤と宮下の会話に割って入った。

「そ、それ、どうなったの?」

「あ? 告白のことか」

「そう。それ」

「断ったみたいだぜ。明るく素直にごめんなさいだってよ」

 その言葉に町田は心が軽くなるのを感じた。そんな町田を見て、佐藤と宮下がニヤニヤした顔になる。

「つーか、町田。お前、増田にマジなのか」

「まあ、あれだけ見てればな」

「あー、町田は露骨だからな。気をつけろよ、女子はそういう視線に敏感って言うぜ」

「う、うるさいな。だから違うって」

 そっぽを向く町田。

 からかい過ぎたと思ったのか、佐藤たちは「悪かったよ」と謝り、それ以上、千鶴の話題を続けることはなかった。

「ヒマだからトランプでもするか」

「あー、いいかもな。大貧民?」

「おうよ。大貧民には大富豪からの罰ゲームってことで」

「うわー、あれきついからな。負けらんね。町田もやるだろ」

 早くも机をもってきて、トランプを配り出した佐藤が言った。

 町田もなんだか気まずい思いを覚えながらも「うん」と答え机のほうに椅子を近づける。そこで千鶴と周囲の女子が笑い声をあげるのを聞いた。後髪をひかれ、そちらを見たいという強い欲求が生まれるのだが、町田はなんとか耐えた。またしても爆笑があがり、町田はなんだか、自分がバカにされているような、そんな被害妄想が生まれるのを感じた。



 ●●●



 その日、町田は弁当を忘れてしまったので、学食で昼飯を食べることになった。

 いつもは教室で他の野球部の面々と一緒にご飯を食べ、時間が空けばトランプ遊びに興じるのだが、今日はそれもできない。

 町田が学食に行くと、もうそこは戦場のように混みあっていて、券売機には長蛇の列ができていた。出遅れたと思った町田も慣れないままにその列に並び、日替わりランチを受け取ったのだが、座る場所がなかった。

 学食には普段来ないこともあって、どこに座ればいいのかも分からない。テーブルが無数にあるが、そこはすべて埋まっていて、空いているところがどこにもないのだ。困ったと途方にくれていると、どこかから、町田のことを呼び止める声が響いた。

「こっちだよ、町田くん」

 声がしたほうを見るとそこには千鶴がいた。

 他の女子たちと一緒にテーブルを囲んでいる。そんな彼女が、町田に手を振りながら呼び掛けていた。

「よかったら、こっちで一緒に食べようよ」

「え、いいの?」

「もちろん。それに、この時間帯だと座る場所なんてないと思うよ」

 確かにそのとおりだった。

 町田は申し訳ないと思いながら、4人がけのテーブルで唯一つ空いていた千鶴の真向かいの席に座った。

 千鶴以外の二人の女子生徒とは初対面だった。やけに背が高かったが、そのリボンの色を見て、彼女たちが下級生であることが知れた。

「紹介するね、右が井上彩華ちゃん。左が五條優子ちゃん。二人とも女子ソフト部の後輩なんだ」

 紹介された二人が軽く会釈をしてくる。

 彩華のほうは茶髪でどこか西洋人じみた顔立ちをしていた。絶世の美女といった感じで、仏頂面で不機嫌そうに町田のことを見下ろしている。その隣の優子は黒髪のほんわかとした女性で、今も優しげな笑顔を浮かべて町田に微笑んでいた。

「二人とも、すっごくソフトボールうまくてね。もうレギュラーなんだよ」

「そ、そうなんだ」

「うん。他にも今年の新入生はすごい子ばかりでね。今日は親睦もかねて一緒にご飯を食べてるの」

 満面の笑みを浮かべる千鶴だった。

 彼女はそこで町田の持ってきたトレイを見て怪訝そうな顔をした。

「町田くんはそれしか食べないの?」

 千鶴の視線は町田の日替わり定食Aに注がれていた。

 豚の生姜焼きにキャベツのサラダ。味噌汁に白米といったメニューだ。小食の町田は大盛りではなく小盛りを選んでおり、それが千鶴にとって信じられないようだった。

「そんなんで足りるの?」

 千鶴の前には日替わり定食が二つ並んでいた。彩華と優子の目の前にも、トレイが二つづつ並んでいる。2人前を注文しているらしい。日替わり定食AとBの二つを注文していて、しかもそのどちらも漫画表現のように山盛りになっており、白米に至っては富士山みたいになっている。

「う、うん。僕はいつもこれくらいだよ」

「そうなんだ。よくそれで足りるね」

「ま、増田さんはすごいね、量」

「そうかな。この後、お替りするつもりなんだけど」

 千鶴が当然のように言った。

 絶句する町田を前にして、彩華が不機嫌そうに口を開いた。

「千鶴先輩、こんな奴に構ってないで早く食べましょうよ。冷えちゃいますよ」

「あ、ごめんね待たせちゃって。優子ちゃんも悪かったね」

「いえいえ、ぜんぜん大丈夫です」

 艶やかな声で上品そうに言う優子だった。

 しかし、下級生である彼女たちの前にも山盛りになった定食二つが並んでいるのだ。町田はあっけにとられてしまった。

「それじゃあ、いただきます」

 千鶴が言って箸に手をつけた。

 左右の彩華と優子もそれにならう。

 3人の食べっぷりは圧倒的だった。

 彼女たちはまず肉に手をつけ、生姜焼きの大きな塊を箸でつかむと、そのまま大きな口を開けてそれにかぶりついた。

 彼女たちの口内の赤い肉の内部と白い歯が目の前に広がり、町田はビクンと背筋を震わせる。特に真正面に座った千鶴の様子はよく見えた。肉の塊にかぶりつき、食いちぎって、もぐもぐと咀嚼している。あっという間にかみ砕いてしまった千鶴はそのままゴクンと獲物を嚥下し、笑顔になって次の相手にとりかかった。勢いよく、それでいて下品さを感じさせない食べっぷりで、千鶴たちの前の食物が次々と彼女たちの胃袋の中におさまっていった。

「どうしたの、町田くん。食べないの?」

「あ、ああ、食べる。食べるよ」

 町田は千鶴たちの視線を感じながら同じように箸を手にとった。

 同じく生姜焼きをつかんで口に運ぶのだが、うまく噛み切れない。

 悪戦苦闘してようやく口の中におさめることができたのは少量の肉だけで、もしゃもしゃと噛んで飲み込むのがやっとだった。その間にも、千鶴たちは早くもA定食を平らげてB定食にうつっていた。早食いというわけではない。能力の違いだ。獲物を体内に摂取する能力の違いみたいなものが、町田にはひしひしと感じられるばかりだった。

「そういえば、男子部のキャプテン、わたしに任せてもらってていいんですか?」

 彩華が食べながら千鶴に向かって言った。

「うん。別に問題ないと思うよ」

「そうですか。まあ、だいぶ従順にはなってきましたけどね。この際だから、もっと徹底的に、心がバッキバギに折れるまでやってやろうかなと思っているんですよ」

「うわ、彩ちゃんが本気だしたら死んじゃうじゃないの?」

「大丈夫です。男の限界ギリギリで手加減するの得意ですから」

 ニンマリと笑う彩華だった。

 なんの話しをしているのか町田には分からなかった。

 黙って聞いているしかない中で、町田は彼女たちが喋りながら摂取している食事よりも格段に少ない食物を必死に食べ続けていた。

「優子もそれで問題ない?」

「うん。わたしは別に大丈夫。他の部で練習台も何人か見つかったから」

「ああ、サッカー部の部長だっけ?」

「あと副部長さんも」

「うわっ、大変」

「ふふっ、だいぶいい練習になってるよ。やっぱり、上級生は体力あるよね」

 そんな食事をしながらも彼女たちの前からどんどんと獲物がなくなっていく。

 まるで肉食獣が草食獣をあっという間に骨になるまで食らいつくすような食事光景。

 けっきょく、町田が食べ終わる前に、彼女たち3人は2人分の定食を平らげてしまった。

「よし、じゃあ、おかわりしに行こうか」

 千鶴が言った。

 さきほどの言葉は本気だったのだ。皿からは綺麗に獲物がなくなっているのに、まだ食べるつもりらしかった。

「じゃ、町田くん。ちょっと席とりよろしくね」

 そう言って千鶴はトレイをとって立ち上がった。

 彩華と優子もそれに続く。

 彼女たち3人が立ち上がり、まだ定食一つに悪戦苦闘している町田を見下ろしていた。そこには、生物としての格差があるような気がして、町田は「ぐ」と黙り込んでしまった。大量の獲物を体内に摂取し、強く、体を大きくしていく彼女たちと、わずかな食事をとることがやっとで弱く体を貧弱にしていく自分。あれだけの食事を軽く平らげてしまうからこそ、千鶴の底なしの体力が生まれているのだ。千鶴と同じように楽々と二人前を平らげてしまう下級生二人もまた、千鶴と同じ類の女性に違いなかった。

「もう、お腹いっぱいだ」

 カウンターの方へ向かって歩いていく千鶴たちの後ろ姿を見つめながら、町田がぼそっとつぶやく。町田は残った肉を口の中に入れ、ぼそぼそと噛み続けるしかなかった。



 ●●●



 その日も町田たちは教室の後ろでトランプゲームをやって時間を潰していた。

 授業のための予習復習なんて最初からするつもりもなかった彼らは、独自ルール満載の「大貧民」で遊ぶのが常だった。その独自ルールの中で一番たちが悪いと町田が思っているのが、大貧民が大富豪から受ける罰ゲームだ。

 教室の後ろの壁。大貧民はそこに立たされて抵抗してはならない。大富豪はそんな大貧民の腹に自分の尻をあてがって思いっきり潰す。壁と尻でのおしくら饅頭。圧迫感で息もできなくなるほどで、一見してバカみたいに見える罰ゲームだが、くらってみると本当に苦しかった。だから死に物狂いで勝利のために頭を使う。それでも、負けるときは負けが立て続けるものだ。町田は大貧民を初めてから3回連続で負け続けていた。

「ほら、あと10秒」

 佐藤がいって、町田の体をさらに押し潰した。

 町田の腹に男の固い尻が食い込んで、容赦なく潰しにかかっていた。背中には壁があって逃げることもできない。1分間耐えなければならないルール。顔を真っ赤にしながらもなんとか1分間を耐え抜いた町田が「ふう」と息を吐いた。

「くそっ、今日はついてない」

「これで町田の3連敗だもんな。めずらしいよホント」

「じゃ、次いくか。罰ゲーム含めたら次がラストかな」

 負けた町田がトランプを集めて配ろうとする。

 その時、明るい声が響くのが聞こえた。

「あれ、町田くんたち、何やってるの?」

 千鶴だった。

 彼女が興味津々といった様子で町田たちがトランプを並べている机に近づいてくる。

「あ、大貧民かー。なつかしいね」

「増田さんも知ってるの?」

「うん。子供のころよくやってたよ。そうだ、次、わたしも混ぜてもらえるかな」

 いきなりの言葉。

 それに町田が戸惑っていると、宮下が「やれやれ」とばかりに口を開いた。

「おい増田。これ罰ゲームありだぞ」

「さっき町田くんがやられてたやつ?」

「そうだよ。けっこうきついから、女のお前に耐えられるわけねーよ」

「えー、そんなのやってみないと分からないじゃん」

「あのなー」

「それに、大富豪になればいいんでしょ。簡単だよそんなの」

 自信満々に言う千鶴だった。

 そんな彼女の物言いにプライドの高い佐藤がムっと顔をしかめた。

「まあいいじゃねえか。そんなにやりたきゃよ」

「お、おい佐藤」

「その代わり、増田が大貧民になっても罰ゲームは受けてもらうからな」

 町田が佐藤を止めようとするのだが、それよりも「いいよ」と千鶴が答えるのが先だった。町田は仕方なく千鶴の分もトランプを配り、4人での対戦となった。

「じゃ、じゃあ、大貧民だった僕からね」

 町田がセオリーどおり弱いカードから出していく。

 それに対して佐藤、宮下、千鶴の順番で勝負が続いていった。何度か町田の手番が続き、彼は弱いカードをことごとく放出することに成功した。残りは絵柄札と2だけが残っている。これは今回は確実に勝利できそうと町田は思った。

「ほい、2のダブル」

 千鶴が机にスペードとダイヤの2を出す。

 8切りで手番がまわってきてすぐのことだった。その訳の分からないカードの出し方に男3人は怪訝そうな顔をして「こいつは素人か」とバカにした顔を浮かべる。千鶴がくすりと笑った。

「それで革命ね」

 千鶴がスペード4枚を場に出して得意げに一同を見渡した。

「革命返しはいるのかな~」

 笑って言う。

 溜息をついた男たちを見て、すぐに千鶴が手元に残った2枚のカードを切った。

「はい、4のダブル。もう3は出尽くしてるから、わたしの勝ちだね」

 こともなげに言う千鶴だった。

 まさに電光石火の出来事。完璧なカードの切り方で、あっという間に勝利してしまった。

「町田くんは大変だね」

 千鶴が笑って言う。町田はハっとして自分の手札を見た。絵柄と2しか残っていない手札では、どうあっても勝てるはずがない。

「カードの切り方でどんなカードが残ってるか丸わかりだよ。露骨にやりすぎたよね~」

「う」

「罰ゲーム楽しみだな~」

 町田は絶望にかられた。

 大富豪は千鶴に決まった。大貧民になれば罰ゲームは千鶴から受けることになる。この教室で、周りにはクラスメイトがいる中で、彼女の大きな尻で体を壁に挟み込まれ、潰されるのだ。その事実が、町田の手を震わせた。

「せいぜいがんばってよ。町田くんはわたしの力、知ってるもんね」

 笑顔で言う千鶴だった。

 町田はガクガクと震えながらなんとか勝利しようと無駄な努力を続ける。

 しかし、残った手札が悪すぎた。というか、そのように千鶴に仕向けられてしまったのだ。彼女はおそらく町田の手札を読み切ったうえで、町田を大貧民にした上で自分が大富豪になる道筋を考え、実行したのだろう。そのことが町田にはよく分かった。自分たちは千鶴の手の平の上で操られていたに過ぎないのだ。その卓越した知性に対して、町田のプライドはズタズタになっていた。

「僕の負けだ」

 勝負はついた。

 佐藤と宮下が簡単にあがっていき、残されたのは町田のみ。

 手札にほとんどカードが残ったままでの惨敗だった。

「それじゃあ、罰ゲームだね」

 千鶴が笑って言った。

「町田くん、壁に立ってもらえるかな」

 本当に嬉しそうに千鶴が言った。

 町田は死刑囚のような心境で壁を背にして立った。目の前には千鶴が仁王立ちしている。あの夜の教室の時みたいにニンマリとした笑顔を浮かべてこちらを鑑賞していた。それはまるで、獲物を吟味している狩人のようだった。

「1分間だっけ?」

「そうだよ。その間、僕は何も抵抗しない」

「うんうん。でも、今回は抵抗していいよ」

 千鶴が笑って言う。

「町田くんは抵抗してOK。それで、わたしの拘束から抜け出ることができたら終わりにしてあげる」

「え、いいの?」

「うん。だって、わたしの力で潰したら、町田くん、1分も意識たもってられるわけないじゃない」

 笑って言う千鶴だった。

 佐藤も宮下も何を言っているのか分からない様子だったが、町田は千鶴の語ったことが真実であることを知っていた。彼女の怪力をもってすれば、この罰ゲームで自分のことを気絶させることだって可能のはずだった。耐えることができないのが分かっているのであれば、最初から抵抗してすぐに逃れよう。町田はそう思っていた。

「それじゃあ、やるね」

 千鶴が町田に背を向けた。

 その大きなお尻がぐいっと町田のほうに突き出される。

 制服のスカート越しであるというのに、千鶴の桃尻は妖艶な曲線を描いてその大きさを強調していた。見るだけでその迫力と柔らかさを知ることができる。町田はゴクリと生唾を飲み込んだ。千鶴の桃尻がゆっくりと町田の胴体に迫り、ぐんにゃりと接触した。

(う、わ……すごく柔らかい)

 胴体に伝わってくる千鶴のお尻の感触に恍惚となる。自分の胴体を隙間なく圧迫してくる真ん丸の桃尻。その柔らかさと暖かさが体に直接伝わってくる。彼女の臀部の形の全てが胴体に伝わってきて、町田はそれだけで勃起しそうになった。

「開始♪」

 我を忘れていた町田がその言葉を聞いた。

 これは罰ゲームなのだ。それを思い出した時には既に遅く、町田は千鶴の巨尻によって押し潰された。

「ひっぎいいいいッ!」

 町田の口から悲鳴と酸素が同時に放出された。

 ぎゅうううッと、千鶴の柔らかい尻に力がこめられ、町田の胴体を潰しにかかっていた。女の子の大きなお尻と背中の壁でサンドイッチにされる。体が桃尻によって磔にされてしまっているような恰好。さきほどから息も出来ないし、声も出なかった。

「ほらっ、抵抗しないならもっと力こめちゃうよ~」

 おどけながら言った千鶴がさらに力をこめた。

 悲鳴もあがらなかった。息が吸えない。全て千鶴の桃尻によってシャットアウトされてしまっている。息苦しさが頂点に達し、町田の顔が真っ赤になった。苦痛で表情が歪み、眉が下がって負け犬の顔になる。

「おいおい、町田はおおげさだな」

「女子の力なんだからがんばれよ」

 佐藤と宮下が外野で好き勝手言っていた。

 周囲から見ればそのとおりなのだろう。女の子がお遊びでおしくら饅頭をしている。ある意味、男子のほうが役得で、あの大きなお尻に合法的に触れるチャンス。そんなふうに彼らが思っていることが町田には分かった。

(ぐ、ぐるじいいいッ!)

 しかし、彼らの言葉は的外れに過ぎた。

 これは断じて女の子による遊びではない。

 まるで胴体がなくなってしまったかのような感覚。千鶴の桃尻に押しつぶされて、自分の胴体はぺちゃんこにされてしまっている。彼女の大きなお尻が自分の胴体に食い込んでいるのが分かる。それどころか、その激烈な力は、彼女のお尻が自分の背中の壁まで達しているように感じられた。死ぬ。このままでは死んでしまう。女の子のお尻に押し潰されて、胴体をぺちゃんこにされ、口から内臓が飛び出て死んでしまう。

「っか、ひいいッ!」

 町田が半狂乱になって暴れ始めた。

 じたばたと体を暴れさせてなんとか千鶴の巨尻が逃れようとする。彼女の細い腰を掴んで、必死に千鶴の体をどかそうと滑稽な抵抗を試みていく。全力。男の力を全て出して必死に暴れた。

「くすっ、なにそれ」

 しかし、現実は残酷だった。

 千鶴は町田の必死の抵抗にビクともしなかった。

 男がどれだけ暴れようが、千鶴は体勢一つ崩さず、町田の胴体を尻で潰し続けるばかりだった。

「あはっ、町田くん、地面に脚がつかなくなっちゃったね」

 言葉どおり。

 あまりに強烈な押し潰しによって、町田の体は千鶴の巨尻によって持ち上げられていた。背中が壁に擦れながら、千鶴のお尻によって宙づりにされる。じたばたと地面に届かなくなった足が暴れ、地面を求めて滑稽なダンスを踊った。

「カヒュウ――ひゅうっぐううッ!」

 町田が顔を真っ赤にして命乞いを始めた。

 しかしその言葉は口からか細い虫の息として放出されるだけだった。町田は絶望して、なんとか目の前の女の子に許してもらおうと必死の努力をする。手で何度も何度も千鶴の背中を叩いてタップし、ギブアップを告げる。お願いですと。このお尻をどかしてくださいと。顔を真っ赤にして情けない表情を浮かべた男が、涼しい顔をしておしくら饅頭をしている女の子に命乞いを続ける。それなのに、千鶴は止めるどころかさらに力をこめるのだった。町田の体がさらに上に持ち上げられ、女の子のお尻によって教室に磔にされていった。

「お、おい町田」

「まじかよ、大丈夫か」

 佐藤と宮下も異変に気付く。

 町田が本気で苦しんでいること。

 顔を真っ赤にしてビクビクと痙攣していること。その瞳から黒目が少しづつなくなって白目になっていくこと。

 町田の体が脱力し、ついに千鶴の背中の上に倒れた。暴れることもできずに、女の子の背中に寄りかかって痙攣し始める。千鶴が「あーあ」とばかりにため息をついて言った。

「限界みたいだね。まだ40秒なんだけどな」

 どさっ。

 千鶴が唐突に町田を開放した。

 宙づりにされていた町田がそのまま地面に落ち、壁を背にして座りこんでしまう。なんとか意識を失わずにすんだ町田は、お腹を押さえてうずくまっている。酸素を欲して息を吸おうとするのだが、胴体がぺしゃんこに潰された影響で横隔膜が動かない。息を吸おうとしても吸えなく「カヒュウ―――カヒュウ――」とか細い息を漏らして苦しみ続ける。せき込みながらも酸素を求めているのに得られない絶望に、町田は涙を流しながら耐えるしかなかった。

「負けちゃったね、町田くん」

 町田が苦しみに悶えていると千鶴の声がした。

 地面に座り込んだまま見上げた先には、満面の笑みでこちらを見下ろす千鶴の姿があった。

「わたしのお尻にも負けちゃったんだね」

 勝ち誇ったような声。楽しそうな天使の声色。

「ほら、このお尻に負けたんだよ」

 千鶴が町田に背を向け、そのままお尻を町田の眼前に突き出した。

 スカート越しからもその大きさと妖艶な形状が分かる巨尻。

 それが目の前に突き出されていて、町田はまるで自分の体がこの巨尻によって押し潰されてしまいそうな恐怖を感じた。口から悲鳴が漏れた。

「ひ、ひいいいッ」

「あ、悲鳴あげちゃった。女の子にお尻で悲鳴あげちゃったね」

「も、もうやめてえッ」

「やっぱり、町田くんにはこのやり方がいいのかもね」

 千鶴が一人満足したように言って振り返った。

 怯えた様子を見せる町田を見下ろして、その頭をわしわしと撫で始める。

「女の子相手に負けちゃうなんて情けないぞ。もっとがんばってね」

 そのまま千鶴が笑顔を浮かべながら去っていった。

 あとには息が満足に吸えずに苦しむ町田と、そんな町田に対して心配そうに声をかける佐藤と宮下だけが残された。



 ●●●



 千鶴から罰ゲームを受けてからというもの、町田は千鶴の態度の変化を感じていた。

 なんとなくではあるが、彼女が自分のことを軽んじているような気がしてならなかった。

 たとえば、休み時間で町田がトイレに行った後、教室に戻ると千鶴が町田の席に座っていることが何度か続いた。

 千鶴がクラスのほかの女子と話すために、町田の椅子に座って話しこんでいるのだ。全体重をかけて、まるでわが物顔で町田の席に座っている千鶴。町田は彼女のお尻が自分の椅子を押し潰す様子を凝視してしまいながらも、どうすることもできずに授業が始まるのを待つしかない。

 教師が教室に現れると千鶴は椅子から立ち上がってくれる。しかし、千鶴は周囲の女子と共に一瞬だけ勝ち誇ったように町田のことを見つめるのだった。

 町田は居心地の悪さを感じるのだが、椅子に座った途端、そこに残った千鶴の体温の残りに感じ入ってしまって、それどころではなくなってしまう。この椅子にはさきほどまで千鶴が座っていたのだ。この温かみは千鶴のお尻が押し付けられていたものであって、あの柔らかい巨尻がさきほどまでこの椅子を押し潰していた。

 それを意識した途端に、町田はなんだか自分まで千鶴の巨尻に潰されているような気分になった。自分の体はこの椅子と一体化して、千鶴のお尻に全体重をかけられて潰されてしまっているような気がしてくる。

 千鶴が目の前の席に座る。大きなお尻が椅子を押し潰している。町田は我慢できずに勃起して、日直が号令をかけて立ち上がる際にはなんとかそれがバレないように前かがみになるしかない。教室のどこかから女の子の笑い声がして、目の前の席から「ふふっ」と声が漏れるのを聞く。日直の「着席」という声と共に、目の前の千鶴の巨尻がドスンと力強く椅子を押し潰す。まるで町田に見せつけるような行動。さらに前かがみになった町田が椅子に座ると、そこにはまだ千鶴の残り香と体温が残っていて、町田は「う」と呻き声を漏らしてしまう。「ふふっ」と、どこかからまた女の子の笑い声が響いた。



 *



 そんな日々が続き、町田はますます千鶴のことしか考えられなくなっていった。

 授業中は目の前の席の千鶴の後ろ姿ばかりを見て過ごした。

 部活中も、千鶴の姿を追って視線はソフトボール部のほうに吸い込まれてしまっていく。

 家に帰れば毎日のように千鶴のことを思い浮かべてオナニーをした。

 特に、あの大きなお尻に潰されてしまった時のことを思い浮かべながらオナニーをすると、とんでもなく興奮している自分を感じていた。あの時の感触が強烈なリアリティとなって町田の中に蓄積し、毎日のように思い返すたびにそれがさらに積み重なっていった。

 なぜこんな妄想で興奮するのか分からない。それでも彼女のお尻に潰されることを想像するとAVやエロ漫画を見る以上に興奮した。

(どうなっちゃったんだ、自分は)

 町田は止めないと取り返しがつかなくなると思いながらも、夜になると自分を抑えることができなかった。千鶴の巨尻に押し潰されることを考えながら、町田は訳も分からず、今日も射精した。



 *



 そんなある日のこと。

 町田は部活が終わった後、教室に忘れ物をしたことに気づいた。

 明日までの数学の宿題のことを失念していたのだ。数学の教師は厳しく、宿題を忘れようものなら部活を強制的に休みにして補習を受けさせることで有名だった。町田は夜も暗くなった学校の校舎になんとか忍び込み、自分の教室に入った。

 当然のことながら教室はシーンと静まり返っていた。明かりはつけられない。教室を照らすのは窓から差し込む満月の明かりと照明の光だけだった。全くの暗闇というわけではないが、うす暗く、それがいつもの教室を幻想的に見せていた。

「はやくしないとな」

 町田は自分の机の中に手を突っ込んで、数学の教科書をさぐりあてる。

 これでなんとか宿題をやることができる。

 そう思って視線をあげると、そこには千鶴の椅子があった。

 いつも、彼女が腰を下ろす場所。

 あの大きなお尻がいつも押し潰して座っている場所だ。

 町田はゴクリと唾を飲み込んだ。

 周りをキョロキョロと見渡し誰もいないことを確認する。

 少しだけだ。ほんの少しだけ。

 町田はそう言い訳をしながら千鶴の椅子に座った。

(こ、これが増田さんの椅子)

 町田は恍惚としながら千鶴の椅子を堪能していた。

 ここに千鶴がいつも座っているのだ。あの桃尻を押し付け、全体重をかけて押し潰している。罰ゲームの時の感触がよみがえり、彼女の尻の温かさが感じられるようだった。少しだけという言い訳はいつの間にかなくなっていた。それほどまでに町田は千鶴に対してまいってしまっていたのだ。

 こんなチャンス、二度とない。これを逃せば、今後、二度とこんなことはできない。

 町田はハアハアと息を荒くして、いつも妄想していることを試すことにした。

 オナニーの時に何度も使っていたシチュエーション。

 その時と同じように町田は床に座り込み、天井を見上げて千鶴の椅子に後頭部を預けた。

 ちょうど町田の顔面が千鶴の椅子の座布団になった格好。

 町田は千鶴の椅子と一体化して千鶴の巨尻を想像した。

 日直が号令をかけて彼女が立ち上がる。

 頭上にはスカート越しの彼女の巨尻。

 それがこれから自分のことを押し潰すのだ。

 日直が「礼」と号令し、彼女が前かがみになる。お尻がぐいっと強調され、今からお前を押し潰すと宣告する。「着席」の号令と共に、千鶴の巨尻がゆっくりと降りてくる。少しづつ眼前に迫るお尻が大きくなっていき、大迫力で町田の顔面に迫る。あと少し。全体重をかけた巨尻が、今にも自分の顔面を押し潰そうと、

「なにしてるの」

 その声で町田は我に返った。



 *



 声をしたほうにハっと振り向くと、教室のドア近くに千鶴が立っていた。

 冷たい視線を浮かべて、町田のことを見下ろしている。

「い、いや、これはその」

 町田は心臓がバクバクと鳴るのを感じながら言葉を喋ることもできなくなった。

 終わった。いや、なんとかしなくちゃ。

 そんな混乱した頭で、町田にできることは座布団をやめることだけだった。千鶴の椅子から離れ、床に座ったまま呆然と千鶴を見上げるしかない。

「…………」

 千鶴が無言で近づいてくる。

 殴られる。

 そう思った町田を無視して、千鶴がガサゴソと自分の机の中を探し始めた。無言のまま、静寂が訪れる。千鶴が取り出したのは数学の教科書だった。

「忘れちゃったんだよね。明日の宿題あったのにさ」

 誰に言うでもない言葉。

 町田はガクガクと震えながら目の前に立つ千鶴を見上げるしかなかった。

「町田くん」

「は、はい」

「とりあえず蹴るね」

 豪快な一撃が町田の顔面を直撃した。

 地面に吹き飛び、倒れる町田。ひいひいと悲鳴をもらし顔をあげると、そこには片足を振り上げ、今まさに自分のことを押し潰そうとする千鶴の足裏が見えた。

「潰れろ」

 ベギイイイッ!

 容赦なく千鶴の脚が町田を潰した。

 何度も何度も、千鶴が町田を踏み潰す。むしけらを駆除するように、手加減なしの踏み潰しの雨あられが町田の体に降り注いだ。

「仕方ないなー。町田くんは」

 ようやく止めた千鶴が言った。

 町田はひいひいと悲鳴を漏らしながら、頭上の千鶴に許しを懇談するしかない。

「君は許されないことをしたんだよ。それは分かるよね」

「は、はい。すみません」

「罰を受けてもらわないといけないね」

 そう言って千鶴が町田を見下ろした。

 その相貌に浮かんだ嗜虐的な顔を見て町田は恐怖心から全く動けなくなってしまった。

 満月の月明かりが彼女の顔を照らし出していて、その壮絶な笑顔をどこまでも恐ろしく装飾していた。

「町田くん」

「ひ、ひい! ゆ、許してください」

 ご主人様と奴隷。

 飼い主とその犬。

 そんな主従関係が一目で理解できる今の2人の状況。

 そんなことに満足したのか、はたまたただ単に飽きただけなのか、千鶴はニコニコと笑い始め、

「えへへ、じゃあ町田くんのこと教育してあげるね」



 *



 千鶴が町田を見下ろす。

 悠然と。その顔には、笑みを浮かべて。

 それに対する町田は、恐怖しか感じていないようで、千鶴を絶望の眼差しで見上げるだけだった。

「ねえ町田くん。町田くんが影でどんなふうに言われてるか知ってる?」

 町田の目の前。

 そこに仁王立ちになった千鶴が、手を腰にやりながら、町田に声をかける。

 その顔にはやはり楽しそうな笑顔があって、それを見るに町田は例えがたい恐怖に見舞われる。

「か、影で?」

「そう。うんとね、町田くんは影でこう言われてるんだよ ――――むっつりスケベ」

「――――!」

「町田くんって私の体、いつもジロジロ見てくるよね。それ、みんなからはもうバレバレなんだよ」

 千鶴が町田の肩に手をかける。

 それだけの動作で、町田は滑稽なほどに狼狽した。

「だから、私が町田くんのこと教育してあげるよ。この前の罰ゲームじゃ逆効果だったみたいだから、この前よりもっと強烈に教育してあげる。もう、女の子の体、ジロジロ見ないようにさせてあげるね」

 千鶴は、えへへ、と笑って、

「女の子の体が恐いって思うほどに、私が虐めてあげるからね?」

「ひ、ひいいムグっ!?」

 叫び声をあげ、今にも逃げ出そうとしていた町田は、それ以上の動きをとることができなかった。

 いきなり町田の頭部が千鶴に抱きしめられ、その胸の中に押しこめられた。顔は千鶴の豊満な巨乳に埋まってしまい、もはや息もできない状況。町田の後頭部には千鶴の両腕が巻き付き、身動きすらとれなくなってしまった。

(う、うわ。柔らかい。そ、それに、いい匂いだ……)

 さきほどまで恐怖で逃げ出すことしか考えていなかった町田は、顔全体に広がる千鶴の胸の感触に酔いしれていた。

 千鶴の巨乳。

 それが町田の頭で潰れることになっており、その大きさが今ではますます強調されている。それに息をするごとに感じる、千鶴の甘い芳香。もはや町田は、夢心地のようにトロンとなり、頭を真っ白にする以外に道はなかった。完全に油断していた。

「じゃあ、始めるね」

「むぐううう!?」

 千鶴がその両手に力をこめる。

 その結果、町田の顔は千鶴の胸に、限界まで押し付けられた。

 もう、柔らかいだとかいい匂いだとか、そんなことは言っていられない。町田の顔は、千鶴の巨乳と両手でサンドイッチにされ、潰される。 ぎゅううう、という擬音が似合いそうに、千鶴の巨乳が町田の頭部を捕食していた。

「町田くん、痛いでしょ? ほらほら、女の子の胸で今、町田くんは虐められちゃってるんだよ。いつもいつもいやらしい目で見つめてる胸で……嬉しい?」

「むうううううッ!」

 町田には、返答するだけの余裕がもはやなかった。

 自分の顔が、今まさに潰されていくのが分かる。 顔面全体が肉の塊に圧迫されて、全方位から蹂躙されてしまっていた。鼻が折れ曲がってしまい、目玉が飛び出てしまうような激痛に、町田はくぐもった悲鳴をあげることしかできなかった。

 叫びながら、女の子の胸に拘束され、潰される。体に力が入らず、膝を床について膝立ちの格好となっていく。

「ふふふ、どう、町田くん。すこしは反省したのかな? 女の子の体をいやらしい目付きでも見るのがどんなに悪いことなのか、ちゃんと分かった?」

「ム……んん……うううう」

 千鶴の問いかけに町田は答えることができない。

 もはや町田の意識は堕ちかかっていた。顔面全体に走る激痛によって泣き叫ばされ、町田の肺にはもう酸素が残っていなかった。

 なんとか空気を吸おうと試みるが、得られたのは千鶴の甘い芳香だけだ。女特有の甘いにおい。それを嗅ぐのは本来なら嬉しいはずなのだが、今ではそれこそが絶望の種だった。

 視界は暗闇。感覚として残っているのは顔に広がる激痛と、後頭部を支えている千鶴の手の感触、そして鼻腔をくすぐる千鶴の体の匂いだけ。

 トロけてしまいそうな芳香。それを半ば強制的に嗅がされる。まさにそれは天国と地獄であり、町田の限界をよりいっそう深めていった。

「…………ん……む……」

 町田の身体がピクピクと震え始める。

 堕ちる寸前。段々と抵抗の動きが少なくなっており、ビクビクと震える。それはもう痙攣の域だ。

「あはははは、町田くん面白いよ? 町田くんの体、ビクビク痙攣しちゃっている。私、ぜんぜん力いれてないんだよ? それなのに町田くんは何もできないなんて……えへへへ、弱すぎだぞ」

 女の子に拘束され、今にも町田は堕ちてしまいそうだった。

 ビクビクと。

 その動きが限界に近づいていき、

「はい、もう限界だね」

「ぷはああああ!」

 町田の頭部を抱きしめる千鶴の腕の力が緩められた。町田の顔面と千鶴の乳房との間に隙間ができ、なんとか息ができるだけの余裕ができた。

 はあはあはあ、と。まるで犬が舌でもだして空気を吸うような様相で必死に酸素を補給する町田。

 今だに自分の後頭部には千鶴の手が添えられ、目の前には凶器と化している巨乳があるというのに、それに意識をやる余裕が町田には残されていなかった。ただひたすらに息をする。しかし、それを千鶴がいつまでも許しておくはずがなかった。

「はい、じゃあもう一回ね」

「え!? ――――むぐ!」

 千鶴が、ぎゅううううう、と町田の頭を締め付けた。

 町田が息をするのを許さず、再度ビクビクと痙攣する男を楽しそうに見つめ始める千鶴。

 それは無邪気な少女そのものだった。

 町田のことを教育するという名目―――それに正当化された千鶴の隠された本性。天真爛漫といった様子の彼女の節々から、嗜虐性の萌芽が見え隠れしていた。

「えへへへ、苦しい? 苦しいよね? 痛いよね? でもやめてあげないよ。だってこれは町田くんのためなんだもん。いっぱいいっぱい。虐めてあげるからね」

「むううううううッ! むうううううッ!」

 町田のくぐもった悲鳴がいつまでも教室中に響いた。



 *



 そして、どれくらい時間がたっただろう。

 あれから、千鶴は町田の顔面を自分の胸で拘束し、町田を圧迫し続けてきた。

 身体が震え、痙攣が増し、もう少しで意識が堕ちてしまうというギリギリまで町田に息をすることを許さず、しかし気絶するということも許さない。

 限界まできた瞬間に、力を緩め、町田に息をさせる。

 千鶴が腕の力を緩めてやる時間もまちまちだった。長々と巨乳の谷間の中で息をさせたかと思えば、町田のことを開放したと思った瞬間に町田の頭部を谷間に埋もれさせるなど、その時間は等間隔ではなかった。

 一人の男を玩具のようにして遊ぶ。

 千鶴はニコニコと笑顔のまま、ひたすらに町田が苦しむさまを観察して楽しんでいた。

「町田くん、もうボロ雑巾みたくなっちゃったね」

 千鶴の言うとおりだった。

 町田の体はぐったりとして力をなくし、今では千鶴の胸に頭部が磔にされ、そこから宙吊りになっているような有様だった。 当初は響いていた悲鳴も薄れ、今ではもう小さな虫の声しか漏れてこない。

 千鶴は自分の胸に拘束しているそんな男の様子を見て、どこか不満そうな表情を浮かべながら、

「うん、よし! じゃあこれくらいにしておこう!」

 千鶴が町田を解放する。

 抱きかかえていた町田の後頭部を放す。体に力が入っていなかった町田は、勢いよく床に倒れ込んだ。町田は仰向けの格好。力ない感じで横たわり、必死に空気を吸っている。

「えへへへ、すごい涙だね町田くん」

「ゆ、ゆるして……」

「ほら、見て。私の制服もびちょびちょになっちゃったよ。そりゃあ、あれだけ泣き叫べばこうなるよね?」

 ふふっと笑う千鶴。

 そのまま彼女は、絶対的強者として、笑顔のまま町田に近づいた。

「さてと。じゃあ町田くんが女の子の体をいやらしい目で見ないようになったか、ちょっと試験してみようかな」

 千鶴が町田の眼前に近づき、両手を腰に、そしてゆっくりと胸をはった。

 千鶴の巨乳が胸をはることによってさらに強調される。制服を突き破らんがごとく、大きく隆起した千鶴の爆乳。制服の紺色が谷間の影をさらに強調して、そこには雄であるならば抗えないような色気が生まれていた。

「ひ、ひい」

 その爆乳を見た途端、町田が悲鳴をあげた。

 恐怖で顔がひきつり、恐怖に慄いている。その恐怖はあまりにも強く、町田は銃口を突きつけられたかのように狼狽し、腰を抜かして尻が地面に落ちてしまった。 あれだけチラ見を繰り返してきた千鶴の巨乳が、今では恐怖の対象に変わってしまったのだった。

「うん。これで町田くんは女の子の胸をいやらしい目つきで見ることはないかな」

「やめて……もう、おしつけないで」

「うんうん。怖がってるねー。おっぱいが怖くて情けないでちゅねー」

「ゆるして……お願い……おっぱいやめて」

「ふふっ。調教完了っと」

 結果に満足したのか、千鶴はゆっくりと立ち上がった。

 千鶴の言う通り、それは条件反射を教え込むための調教だった。女の体を見て恐怖を覚えるのであればもういやらしい目で女の子を見ることはないだろう。そう考えたからこそ千鶴は、自分の胸をつかって町田のことを虐めたのだ。

(や、やっと解放される。やっと……)

 自分よりも遙かに強い力を持つ千鶴。

 その千鶴が立ち上がったことで、町田は安堵していた。

 そのまま彼はへなへなと倒れこみ、自然と四つん這いの格好になった。両手を床について「はあはあ」と息を荒くする。これで今日は帰れる。もう虐められることもないと、町田はそう安堵するのだが、

「まだだよ、町田くん」

 町田の背後で聞こえた千鶴の可愛らしい声。

 千鶴の調教はまだまだ続いていく。







 町田は自分の顔が何かに挟まれるのを感じた。

 それは柔らかく、熱をもっており、ぐにゃ、という具合に町田の顔を包み込んでいた。

 千鶴の脚。

 制服のスカート越しに伸びる健康そうな太ももが、四つん這いの町田を跨ぐようにして、首に巻き付いてきた。

「ふふふ、町田くん、次は脚だよ。女の子の脚、町田くんはよく見てるもんねー」

 まだ千鶴の太ももには力が込められていない。

 女の子らしい柔らかそうな太ももが町田の顔を包んでいるだけ。むっちりとした脚が町田の頭部でぐんにゃりと潰れていた。

(う、うわ、柔らかい)

 両手を地面につき、後頭部に千鶴の下着の感触を感じながら、町田は感想を抱いた。

 自分の顔の後頭部と側頭部を包み込む千鶴の柔らかい太もも。弾力をもって自分の頭部を包みこむ魅力的な脚の感触によって、町田はその恐ろしさを忘れて快感に酔っていた。

「えへへ、じゃあいくね」

 無邪気に千鶴は宣言する。それとともに、千鶴の両脚に少しだけ力がこもった。

「あああああッ!」

 町田の絶叫。

 それは唐突に生まれた頭部と首に生じた痛みから、強制的に絞り出されたものだった。

 スカートから伸びる千鶴の生脚。それが町田の頭を潰しにかかり、同時に首を締め始めていた。

 千鶴の両脚は女らしい柔らかさを失っていない。少しだけ筋肉の筋が浮き上がっているが、それすらも健康そうな女性の脚を演出するだけだ。

 町田の頭部を両脚で挟み、地面にしっかりと立つ千鶴は、自分の両脚の間で絶叫をあげる町田のことを楽しそうに観察していた。

「うわあ、すごい悲鳴」

 女性特有のむちむちとした太ももが、男の頭を潰すプレス機に変わっていた。

 千鶴は本当に立っているだけである。力をいれているようにも見えない。しかし、千鶴の太ももは獲物に巻き付く大蛇のような力をもっていた。

「ひっぎいいいッ!」

 町田は悲鳴をあげるしかない。

 自分の首を締めつけている太もも。それになんとか対抗しようと、町田は千鶴の太ももを掴み、全身全霊をかけてそこから脱出しようと試みた。首を千鶴の脚から引き抜こうとジタバタと暴れまわる。

 しかしどうにもならない。

 側頭部にかかる肉圧と、後頭部からのしかかる千鶴の体重にあっけなく返り討ちにされる。千鶴は脚しか使っていないというのに、町田は千鶴に手も足もでなかった。

(な、なんでこんなに強いんだ)

 町田は絶望の中で思う。

 こちらは全身を使って抵抗しているのに、手を腰にあて太ももしか使っていない千鶴に玩具のように遊ばれている。視界がブラックアウトしてしまうほどの圧迫感の中で町田は悲鳴をあげるしかなかった。

「っひっぎいいいッ!」

 町田の命をからす絶叫。

 町田の口からは舌が飛び出て、唾液がさきほどから地面に向かってポタポタと垂れ続けていた。その目もまた裏返っており、黒目が半分ほどしか残っていない。まるでレイプされ、精神が犯されてしまったかのような有様で、町田は苦しみ続けるしかなかった。

「あはっ、まったく相手にならないね」

 千鶴が満面の笑顔で言った。

「これじゃあ、この前のサッカーボールと同じだよね」

「ああああッ!」

「あの時のサッカーボールみたいに、町田くんの頭も潰しちゃおっかな」

 茶目っ気たっぷりの言葉は、しかし、町田に絶望を与えるに十分なものだった。

 あの千鶴の脚に挟み込まれたサッカーボールの末路を思い出しただけで、町田の背筋は凍った。

 しかも、今の千鶴の脚は柔らかそうなムチムチとした脚のままだった。本気を出していないのだ。あの時のしなやかな筋肉の束はまだ彼女の皮下脂肪の下で眠っている。千鶴が本気を出したらどうなるか。あの時のサッカーボールのように、自分の頭が女の子の脚に潰れて肉塊になる未来を想像し、心底絶望した。

「ほらほら、潰れていっちゃうよ~」

 柔らかそうな筋肉が町田のことを絞めつけ続ける。

 ムチムチとした質感に包み込まれた町田は、その感触を味わうことすらできず、脚のもたらす苦しみを覚えさせられていった。

 もはや絶叫すらなく、ヒューヒューとその喉からはか細い息が漏れてくるだけになっていく。

 自分の全力の力を使ってもまったくビクともしない千鶴の脚に畏怖の念を覚えさせられ、もはや抵抗しようとも思えなくなってしまった町田は、ただ気絶させてもらえることだけを望んでいた。

(もういい……もういいです。とにかく……はやく楽に……)

 カヒューカヒューという空気の漏れるような呼吸音とともに、白目をむいた状態で町田は思った。

 とにかく早く気絶させてほしい。楽になりたい。

 それだけを思いながら、自分の中で絶対の存在となった千鶴に対して、気絶させてくれと心の中で許しを乞う。

 町田の体が自由ならば、町田はなんの迷いもなく千鶴の足元に土下座をして、必死に許しを乞いていただろう。しかし、千鶴が町田のことを、簡単に気絶させてくれるわけがなかったのだ。

「はい、じゃあまた息を吸おうね~」

 千鶴が脚の力を緩める。

 手を腰にあて、脚だけをもって町田のことを拘束したまま、千鶴はその圧迫を和らげてやった。

「ぶはああぁぁあ! がああははあ!」

 頭部と首にかかる圧力から開放され、町田は条件反射的に貪るようにして息を吸ってしまった。意識が元通りになっていく。息を吸えば気絶できない。それが分かっているのに町田は滑稽にも空気を求めて惨めに息を吸うしかなかった。

「えへへ、町田くん。これから私にどうされちゃうか分かる?」

 仁王立ちの千鶴が高らかに宣言した。

「町田くんはね? さっき胸で虐められたみたいに、今度は私の脚で窒息寸前まで絞められて、でも気絶することは許されなくて、ず~と苦しみ続けるんだよ」

「やめて……お願い……」

「町田くんが女の子の太ももが怖いって思うまで、ず~と続くからね」

「ひゃ、ひゃだあああ―――ムッグウウ!」

 女のような悲鳴をあげた町田の動きは、千鶴が少しだけ太ももに力を込めただけで封殺された。

 途端、無駄な行動と知りながら、町田は両手で千鶴の太ももを掴み、罠にかかった野生動物が必死の抵抗をするように、なんとかそこから脱出しようと試み始める。その抵抗に対して、ぎゅうううっと、町田の頭部には万力のような力がこめられた。

「ヒュウウッぎゃああッ!」

「あははは! いい悲鳴だよ町田くん」

「やめギッギイイッ! ゆる、ゆるひてえッ!」

「ふふっ、なんだか私も楽しくなってきちゃったかも。もうこうなったら、徹底的に虐めてあげるからね!」

 悲鳴を聞きたいがためか、千鶴は声がでる寸前のところで手加減している。支配者として君臨する女性が、男の口から漏れてくる悲鳴をいつまでも楽しそうに聞き入っていた。



 *



 また永遠にも似た時間が経過した。

 仁王立ちの少女は、もはや抵抗すらしなくなったボロ雑巾のような男を見て、一瞬だけ脚に力をこめるのをやめた。

 そして、町田の髪の毛をわし掴みにすると、力任せに上を向かせ、その表情を見えるようにした。そこには、涙と涎で汚らしく変貌した負け犬の顔があった。

「うわ~、町田くんの顔、涙でぐじゃぐじゃになっちゃったね」

 千鶴が他人事のように言った。

 満面の笑みでボロボロになった同級生のことを見下ろしている。

「ん~、さすがに、脚で絞めるのはちょっと飽きたかな」

 千鶴が太ももの力を緩めた。

 散々にレイプされた男はそのまま倒れこんでしまった。

 地面に横たわり、力なくぐったりしている哀れな男。

 もうどうにでもしてという諦めが町田を支配し、何をされても反応しない人形のような状態となっていた。

 それを見て、千鶴はニコニコと笑顔を継続する。

 そして、次なる調教へと移った。

「よし、次は打撃系だよ!」

 嬉しそうに、鼻歌交じりで言うと、千鶴は横たわったまま動かない町田に近づいた。

 ひい、と悲鳴をあげる町田。

 しかし逃げるなんてことが無駄であることを理解している町田は、そのまま千鶴の為すがままにされるしかない。

「えへへ、持ち上げちゃうねー」

 町田は自分の襟首と足首が千鶴に掴まれるのを感じた。

 そのまま、自分の体が軽々と宙に持ち上げられた。ふわっと体が浮遊する感じがあって、仰向けのままで視線だけが高くなり、地面が遠く感じられるほど浮かび上がった。

「うわー、軽い。男の子ってもっと体重あるのかと思ってた」

 同級生の女の子に襟首と脚を掴まれ、宙づりにされている。

 宙に持ち上げられ自由を失った町田は「ひい、ひい」と悲鳴を漏らすしかない。じたばたと暴れるが、がっちりと掴まれた襟首と足首の拘束の中では全く歯が立たなかった。

「ひ、ひいい……許して、もう許してくださいぃぃ」

「うん、じゃあヤるね」

 町田の哀願に聞く耳を持たず、千鶴は目の前の体に狙いを定めた。

 千鶴は、町田の襟と足首を掴んで宙づりにしたまま、その無防備な腹に自分の膝をたたきこんだ。

「ヒャはああああッ!」

 千鶴の膝蹴り。

 それが、ものの見事に町田の腹に命中する。

 空気を揺らすような打撃音が響き、町田の口から悲鳴がほとばしった。

「はい、もう一発~」

 ズドオオオオオンッッ!

「ッヒがあガガあああッツッ!」

 スカートから伸びた脚線美。

 その肉感たっぷりの女の脚が、町田の腹に次々に直撃していく。

 千鶴の太ももが躍動するごとに、膝が町田の腹にめり込み、男の意識を刈り取ろうと衝撃を与える。

 町田のことを空中で、まな板の上に横たわるマグロ状態にしながら、千鶴はさらに膝蹴りを放っていく。

 ボグウウウッ!

 ベギイイイぃ!

 ドスウウウんんッッ!

「ひゃがああああ! ヴぉぶええええっ!」

「ほらほら、町田くんの好きな脚だよ~。蹴られて嬉しいでしょ?」

「や、やめ、ぶげえええおええッ!」

「あははは、膝蹴り地獄だね。なんなら、このままず~と、町田くんのこと蹴り続けてあげようか? 私がその気になれば、何時間だって町田くんのこと膝蹴りできちゃうんだからね」

「もう、やみぇへえええええ!」

 千鶴に宙吊りにされながら、町田は次々に放たれてくる膝蹴りを甘受するしかなかった。

 全身を貫くような打撃が入るたび、頭が真っ白になって、次の瞬間には視界がブラックアウトする。その膝蹴りは恐怖の対象でしかなく、膝蹴りが自分の体に食い込んだ瞬間には、次の膝蹴りに怯えることしかできない。

 いくら暴れても、千鶴の怪力は衰えることをしらず、自分の体は宙づりにされたままである。その状況のままで、容赦なく襲い掛かる激痛と、楽しそうな千鶴の笑い声を聞き続けなければならない。

 膝蹴りのたびに目玉が飛び出て、肺の中の酸素はすべて吐き出される。

 空気を求め、舌が口の中から飛び出す。

 宙づりにされた高さから町田の涙が落ちていき、教室の床にポタポタとたまっていく。

 涎を周囲に撒き散らすしかなく、それ以外に口からでるものといえば、痛みに対する絶叫と、千鶴に向けて発せられる命乞いだけだ。 町田の悲鳴は、すでに人間のものではなく、理性が消失した獣のような鬼気迫るものに変わっていた。

「やぎゃあああハハぁあう!」

「すごい悲鳴っ! ほら、もっとだよ。もっといい声で鳴いて!」

 彼女の瞳にははっきりとした愉悦が浮かび始めていた。

 トロンと溶けた瞳を浮かべながら覚醒した少女が男を犯す。

 夜の教室に、すさまじいまでの打撃音。

 男の体が壊れる音が轟きわたる。

 しかも、それはさらなる激しさをもって町田に襲い掛かり、ついには1秒も間隔をおかず、間断なく千鶴の膝が町田の腹にめり込み始めた。

 バギイイイイ! ボギイイイ!

 ヴァギイイッ! ボグウウウウンっ!

 ブジイイイ! ブジャアッ! ゴググンンッ!

「げぼうえええッ! やみゃぐげええ!」

「アハ……あはは、ふふふ、いい悲鳴~。もっと、もっと……」

 女性のふくよかな脚が、男の命を刈り取る凶器へと変わっている。

 間断なく、とてつもない激しさで、町田のことを犯す千鶴。そこには段々と手加減というものがなくなっていった。そんな膝蹴りに耐えられる男なんているはずがなかったのだ。

(ゆるしてええッ! ゆるしてください千鶴様ああッ)

 町田が心の中で千鶴のことを様づけで呼び始める。

 命乞いの言葉も出ない。彼女の太ももが腹部にめりこむと言葉も全て奪われてしまうのだった。横隔膜も潰されて息すら吸えない。かひゅーというか細い呼吸もまた連続で繰り返される膝蹴りで奪われてしまう。

 自分の生殺与奪の権利は全て千鶴に握られていた。

 クラスメイトの同級生。

 本来であれば対等であるはずの彼女は自分よりも優れた高位の存在なのだと、膝蹴り調教によって骨の髄まで叩き込まれていく。

(ゆるしてください……もう、千鶴さま……ゆる…ひてッッ……た、助けてください……殺さないでください……)

 町田がクラスメイトのことをご主人様と認識し始める。

 むちむちとした太ももに膝蹴りをされているうちに、町田は自分の存在が彼女よりも劣った存在であると確信していった。今の町田ならば、学校中の便器を舐めて綺麗にしろと千鶴から命令されれば即座に実行しただろう。それほどまでに町田は支配されてしまっていた。そんな絶対的な忠誠心が芽生えても、彼女が自分のことを許す気配は微塵もなかった。

(もう僕はダメなんだ)

 全てを諦めた町田がゆっくりと瞼を閉じる。

 既に痛みはなくなっていた。息が吸えないこともなんともなかった。町田は千鶴に対する崇拝心にも似た恐怖を感じながら、観念したように意識を手放した。



 *



「ふふっ、すご~い。ここまでやったのに、壊れなかったな」

 夜の校舎。

 気絶した男の顔面を大事そうに抱えた少女がつぶやく。

「ほかの男はすぐに壊れたのにな。わたし、けっこう本気出してやってたんだけど」

 笑み。

 娼婦が浮かべるような妖艶な笑み。

「ふふっ、本気でやっても町田くんは壊れないんだ。そうかそうか」

 長年懇願していた誕生日プレゼントをもらった子供のような表情。満ち足りた気持ちがその上気した顔からは伝わってくる。

「あ~、はやく明日にならないかな~」

 千鶴は、心底楽しみと思っている様子でつぶやいた。

 気絶した町田の顔面を抱きしめて潰しながらルンルンと鼻歌まで歌い始める。千鶴はすっかりと、男をイジめる快感に取り憑かれてしまったようだった。



 *



 町田が、シャーペンをはしらせる音で目を覚ますと、そこはシーンと静まりかえっている学校だった。

 意識が朦朧としている。とっさに、今自分がいる場所のことが思い出せない。きょろきょろと周りを見渡し、やっと事態の状況がつかめてきた。

 自分の教室。そこで机に突っ伏して寝ていたようだ。

 なぜか部活を精一杯頑張ったときのような倦怠感が全身を支配していた。顔面と頭部がやけに重く感じる。少し動かしただけで腹部には激痛が走り、何事かと疑問に思った。

「あ、町田くん、やっと起きたんだね」

 可愛らしい声色。

 それは、向かいに坐った増田千鶴が発した言葉だった。

 彼女は宿題をやっているようだった。

 明日の数学の宿題だ。そうだ、自分もあれをやらなければならない。

 町田は寝ぼけ眼のままで、目の前の可愛らしい同級生の顔を見つめる。すると、形容しがたい違和感が胸の中に広がった。

「あれ?」

 町田が、困惑したように言葉をもらす。

 さきほどまでの記憶……それを思い起こすに、アレは夢だったのだろうかと、町田は今だに寝ぼけた頭で考える。

 千鶴に力ずくでめちゃくちゃにされたこと。

 顔面を胸に埋もらされて窒息死させられそうになったり、

 カモシカのような脚に首を絞められたり、

 膝蹴りをされたりと、残虐の限りを尽くされたこと。

 それを思い返すに町田は、やはりアレは夢だったのだろうかと、首をかしげた。

(そうだよ。だっていくらなんでもおかしいもん。女の子に手も足もでずになぶりものにされて……まるで犯されるように虐められただなんて)

 自分は疲れていたのだろうかと、町田は思う。

 日頃の部活で疲れていたから、いつの間にかこうして教室で寝てしまって、千鶴に虐められる夢なんか見てしまったのだ。

「まったく~、わたしを置いて、一人で気絶しちゃうなんてちょっと情けないぞ」

「あ、ご、ごめん」

「いいよ、もう。じゃあ、帰ろうか」

 元気よく、いつもの満面の笑みでそう言ってくる千鶴。

 その不思議な女の子の姿は、やはり可愛らしいものだった。

 自分のことを虐めるようなそんな娘ではない。

 やはり、アレは夢だったのだ。

 町田は、何故あんな夢を見たのだろうかと、そこにこそ疑問を感じる。自分の中にはああいう願望があるのだろうかと、自分の性癖を思い返したりもした。

(まあ、とにかくよかった、アレが夢で)

 町田は、ほっと安心していた。

 なんで自分と千鶴が夜の教室に二人でいるのかは思い出せなかったが、おそらく千鶴は自分が寝てしまっているのを待っていてくれたのだろう。やっぱり千鶴は優しい女の子だった。

「ごめんね、増田さん。いつの間にか寝ちゃったみたいで」

「え?」

「帰りになんかおごらせてよ。増田さん、僕が寝てるの待っててくれたんでしょ?」

「なに言ってるの町田くん。寝ちゃったって、町田くんがいつ……」

 途中で、何かに気づくように言葉を切る千鶴。「ああ、そういうことか」と、千鶴は納得のいったように「うんうん」とばかりに頷いている。

「えへへ、町田くん」

「な、なに、増田さん」

「忘れちゃったんなら、思い出させてあげるよ」

「な、なにを……」

「えいっ!」

「ぐぎゃああああああ!」

 抱擁。

 千鶴の両腕が町田の背中にまわり、町田の胴体が強く抱き潰された。

 万力のような圧力。

 プレス機のような力の強さ。

 突如として千鶴から与えられるベアハッグという拷問に、町田は心の底から悲鳴をあげるしかなかった。

「えへへへ、苦しいでしょ町田くん」

「あぎゃああギギッッ!」

「すごい悲鳴だね。ほら、町田くんの体、バギバギって潰れていってるよ? 」

「ひぎいいいィィッッッ! やみゃげええええッッ!」

「これで分かったでしょ?」

 千鶴がニンマリとした笑顔を浮かべて勝ち誇って言った。

「たぶん、町田くんはさっきまでのことを夢でも見たって思ってたんだよね。でも、そうじゃないよ。さっきまでのことは、全部現実なの。町田くんは私に調教されてたんだよ。こうやってねっ!」

 町田の悲鳴を聞き、千鶴の瞳の輝きが増す。

 そして、さらなる締め付けが町田の体に施された。

 千鶴の柔らかい体。

 その豊満な女体に町田の体は埋もれてしまっている。制服を突き破らんとする千鶴の大きな胸が、町田の胸部を潰そうと、凶器に変わっていた。暴れても無駄だということが町田には分かっていた。

 目の前。

 自分の顔を満面の笑みで見つめてくる千鶴の姿。

 その可愛らしい同級生の顔を強制的に見つめさせられながら、町田は内心で絶望を思った。

(今までのことは全部……実際にあったこと……)

 千鶴に手も足もでずに圧倒されたこと。

 その大きな胸で虐められたこと。

 その美脚で調教されたこと。

 そして今も、女の子に抱きつかれて、その柔らかい体で潰されていくという現実。それを認識するに、町田は形容しがたい絶望に支配された。

「これで分かったでしょ。今までのことは夢なんかじゃなくて、町田くんは実際に、女の子に虐められてたってこと、ちゃんと分かったよね」

「わがったがらあああ! やみゃギャアぎぎぎッッ!」

「ん~? なんていってるか分からないよ町田くん。もっと絞めてあげようか? 私、まだぜんぜん力いれてないんだから」

「わがりびゃしぎゃあああ! わかりばじたからあああッッ!」

「よしっ! それなら許してあげよう」

 ポイっと、町田の体を離す千鶴。

 涙と涎で、またしても顔を汚した町田は、自分の力で立っていることもできずに、地面に倒れ込んでしまった。

 全身に伝わる激痛。

 その地獄とは対照的な女の子の甘い芳香。

 町田は「ヒイヒイ」と悲鳴をあげながら千鶴のことを仰ぎ見ることしかできなかった。

「これからは毎日、私が町田くんのこと調教してあげるからね。女の子の体をエッチな目で見ないように、私がしっかり調教してあげます。嬉しいでしょ~」

「ゆる、して」

「あ~、楽しみだな~。ね? 楽しみだよね」

 楽しみなわけがない。

 それでも、ここで否定的なことを言ったら何をされるか分からない。町田は、か細く、今にも消えるような声で、

「は、はい……楽しみ……です」

「だよね~。えへへへ、いっぱい虐めてあげるからね、町田くん」

 明らかに男を虐めることに快感を覚えている表情。

 そんな千鶴の姿を見るに、町田は、何か目覚めさせてはいけないものを目覚めさせてしまったのではないかと、ブルっと身震いを感じた。

(これから……何かと理由をつけて、増田さんはボクに暴力を……)

 泣き出しそうになりながら、町田は千鶴のことを仰ぎ見ることしかできない。

 ニコニコと楽しそうに笑いながら、自分のことを見下ろしてくる千鶴。

 同級生に、見下ろされる。

 今まで対等だと思っていた存在に、見下ろされる。

 その屈辱感。

 それでも町田は、頭上高いところにある千鶴に、淡い恋慕を感じていて……。

「これからよろしくね、町田くん」





作品紹介