1
カナタがまだナマイキではなかった頃の話しだ。
その頃にはもう気の強さが見え隠れしていたが、まだかわいらしい女の子に過ぎなかった。兄である俺の後をテクテクとついてきては「にーに」「にーに」と呼んで慕ってくれた。妹ができたことに喜んでいた俺は、そんな妹をかわいがって誕生日にプレゼントを送ってやったこともある。
「ありがとう、にーに。大事にするー」
俺がプレゼントしたウサギの人形を嬉しそうに抱えて、カナタが喜んでくれた。
それが何より嬉しくて、俺はカナタの頭を撫でてやった。仲の良い兄妹。今から思うと信じられないが、俺とカナタは毎日一緒に遊ぶくらいに、仲が良かった。
●●●
幼稚園を卒業し、初等部に入学する。
2歳年下のカナタも、2年遅れで同じ初等部に入ってきた。
おそらくこの頃からだ。
カナタがナマイキになってきたのは。
「アニキ、漫画読ませて!」
カナタが我がもの顔で俺の部屋に入ってくる。
俺は小3になってようやく自分の部屋がもらえたけれど、自分一人の時間なんてまったくつくれなかった。
「おまえなー、女の子が少年漫画ばっかり読んでるなよな」
「いいじゃん別に~。だって面白いんだもん」
「ったく、静かに読めよ」
妹の存在を無視してテレビ画面に向き合う。
リリースされたばかりの格闘ゲームに俺は夢中だった。主人公の男キャラを操作してストーリーを進めていく。操作にもだいぶ慣れてきたところだった。必殺技のコマンドが指になじんでいくのが分かる。集中してゲームをしていると、いつの間にか隣にカナタが座って、俺のプレイを見ていた。
「あーしもコレやりたい!」
「あ?」
「ねえ、いいでしょ、にーに」
いつも悪ぶって「アニキ」としか言ってこないのに、時折素が出るのか、昔のように「にーに」と呼んでくる。俺は煩わしさを感じながらも、そんな妹のことを邪険にはできなくて、2P用のコントローラーを渡してやった。
「ストーリーはやらせられないけど、対戦だったらいいぞ」
「ほんと?」
「ああ、ほら、キャラ選べよ」
「やったー。ありがとう、にーに」
カナタが目を輝かせて画面を凝視する。
女キャラを選んだカナタと対戦をする。
けれど勝負なんて始める前から分かっていた。
俺は1ダメージもくらわずにカナタを瞬殺した。その途端に、カナタの猫みたいな瞳が不機嫌そうに細められるのが分かった。
「もう1回、もう1回」
「おまえなー、何度やっても同じだって」
「同じじゃない! 次はあーしが勝つから! 勝つまでやる!」
「ったく、しゃーねーなー」
妹はどんどんナマイキになっていく。
人の言うことは聞かないし、自分の思い通りにいかないと癇癪を起こすのだ。
どういうわけか周囲の人間(とくに父親や成人男性)は、増長するカナタを甘やかすばかりで、注意をすることもなかった。
(これじゃあ、カナタがダメになる)
だからこそ俺はカナタがダメなことをした時にはきちんと叱るようにしていた。今日だって、たかがゲームといえども一切手加減なんてしてやらなかった。圧勝ばかりで10戦目が終わった段階で、ついにカナタが切れた。
「もうッ! なんで勝てないの!」
「おまえが下手だからだよ」
「違うもん! カナタのほうが強いもん」
「いや、弱い」
「うううッ! なんでそんないじわる言うの」
聞き分けの悪い子供みたいにカナタが言う。
涙目になって俯いている。なんだかかわいそうになってきた。俺は思わず、
「手加減してやろうか?」
「え?」
「弱パンチと弱キックだけで対戦してやるよ。それでいいだろ?」
さすがに本気でやり過ぎた。
少しは花をもたせてやろうと、俺はそんなことを言ってしまったのだ。すぐにカナタがそれまで以上に切れた。
「うるさい! 手加減なんてしてくれなくても、あーしはアニキに勝てるし!」
手放していたコントローラーをカナタが手にとる。
負けん気が強くて気が強い性格だ。ナマイキな性格だったけど、こういう所は俺も気に入っていた。
「偉いぞ、カナタ」
頭を撫でてやる。
うっさいと不機嫌そうに顔をしかめる妹だったが、俺の手を振り払うこともなく、されるがままに頭を撫でられるだけだった。
●●●
いつも俺の後ばかりついてくるカナタだったが、ようやく初等部で友人ができたみたいだった。初めて出来た友人を自慢したかったのか、カナタはすぐにその子を家に招待した。
「この子はヒナタ。今日一緒に遊ぶんだ~」
「九ノ瀬ヒナタです。今日はおじゃまします」
その子は礼儀正しくあいさつをしてくれた。
黒髪のおかっぱ頭―――まるで座敷童みたいな女の子だった。育ちが良いのか言葉遣いもていねいで、なぜカナタみたいなガサツな女の子と友人になったのか、さっぱり分からなかった。
「今日はヒナタと遊ぶけど、特別にアニキとも遊んであげる」
カナタが自信満々に言う。
はいはいと呆れながらも、俺はカナタに付き合ってやる。妹たちと遊んでも楽しくなかったが、かわいい妹のことを邪険に扱うこともできなかったのだ。
「今日はありがとうございました。お兄さん」
帰る時間になると、ヒナタちゃんはやはり礼儀正しくおじきをしてくれた。こんな良い子がカナタと友達なんて信じられなかった。
「カナタのこと、よろしくねヒナタちゃん」
「え?」
「ナマイキなところはあるけど、根はいい奴なんだ。迷惑だったら遠慮なく言ってやってよ」
俺の言葉にキョトンとした表情を浮かべるヒナタちゃん。
ナマイキな妹とは大違いで、ヒナタちゃんは礼儀正しく真面目な女の子だ。
できるならばカナタとは末永く友人関係でいて欲しい。けれどそれは難しいかもしれない。カナタの性格的にヒナタちゃんみたいな女の子と長く友人でいるのはムリだろう。俺はそんなふうに思っていた。
*
俺の想像に反して、カナタとヒナタちゃんは友達のままだった。
家にもよく遊びに来て、そのたびに俺も一緒に遊び仲間にされた。
父親は普段はずっと家にいるのだけれど、ヒナタちゃんが遊びに来る時に限って家を留守にすることが多かった。だから、カナタとヒナタちゃんの遊び相手になるのはいつも俺だった。
「映画おもろかったね、ヒナタ」
「うん。面白かったです」
人気の幼児向け映画を見た帰りだ。
俺はカナタたちの引率をしていた。もともとそこまで興味のなかった映画だったが、俺でも楽しめた。初等部の女子たちが変身して敵を殴ったり蹴ったりする映画だったが、友情あり、努力あり、そして最後には勝利ありと、男の俺でも楽しめた。
「さあ、帰るぞ。カナタ」
「え~、もうちょっと遊んでこうよ~」
「ダメだ。おまえは宿題もまだだろう。はやく帰ってやるんだ」
「も~、アニキ、いつもそればっか」
ナマイキな口をききながらもカナタは大人しく帰ることにしてくれた。
駅にむかって3人で歩いていく。
電車のガタンゴトンという音が聞こえてくる。
駅の近くまで来た時だった。
顔をあわせたくない奴とはち合わせてしまった。
「おいおい良介~、女と遊んでるなんて気色悪い奴だな~」
大柄な男―――朝井が言った。
こいつは俺と同じクラスに所属している同級生だった。
発育が良くて中学生並みの体格を有しており、髪を茶髪に染めている。暴力事件を何度もおこしたことのある問題児でもあった。
「朝井か。なんの用だよ」
「別に~。お、妹と一緒だったのか」
「う」
朝井から見つめられて、カナタが震えた。
そのまま俺の後ろに隠れたカナタを見て朝井がニヤっと笑う。
昔、カナタは朝井からいじめられたことがある。気が強くて増長気味だったカナタが朝井につっかかって、顔面を殴られたのだ。そのことを思い出したのか、カナタはビクンと震えて、俺の背中に隠れたままだった。
「ははっ、まだナマイキだったらボコってやろうと思ってたのに、ビビりまくりじゃねえか」
バカにしたように朝井が言う。
俺は腹に力を入れてすごんだ。
「どけよ。俺たちは帰るんだ」
「あ?」
「おまえもはやく帰って宿題やったほうがいいぞ? 委員長を困らせるなよな」
カナタとヒナタちゃんの手を握って朝井の横を通りすぎる。
朝井はニヤニヤ笑ったまま何も言わずに俺たちを見送った。
怯えたままのカナタと、それを心配そうに見つめるヒナタちゃんを連れて、俺は急ぎ足でその場を離れていった。
*
「大丈夫か、カナタ?」
朝井の姿が完全になくなってから声をかけた。
駅構内で周りには大人たちもいる。ここまで来れば安心だった。
「・・・・うっさいし。別にビビってなんかないし」
沈んだ声でカナタが言った。
憎まれ口をきけるなら安心だ。
カナタは炎のような怒りを瞳に浮かべている。そのまま悔しそうに顔をしかめながら言った。
「いつかアイツなんかボコって泣かしてやる」
「おいおい」
「なによ?」
「カナタは女の子なんだぞ?」
「だから?」
「男をボコるなんてできないだろう」
「うっさい。ボコるっていったらボコるの」
やれやれと俺はタメ息をもらした。
そんな俺に、隣のヒナタちゃんが、
「お兄さん、ありがとうございました」
「ん?」
「私たちのこと守ってくれて・・・・・すごく頼もしかったです」
ヒナタちゃんは頬を染めて俺のことを見上げてくれていた。頼られているという気がして、悪い気はしなかった。
「朝井からイチャモンつけられたら俺に言ってよ。守ってあげるからさ」
ガラにもなくそんなことを言ってみる。
ヒナタちゃんはますます尊敬したまなざしを浮かべてくれた。隣のカナタも、照れ隠しなのかそっぽを向きながら「・・・・・・ありがと、アニキ」と感謝を口にしている。それがとても嬉しかった。
●●●
成長していく。
初等部3年生の3学期。
カナタも初等部に入ってから1年近くが経過しようとしていた。学校にも慣れ、親友のヒナタちゃんと遊ぶことが多くなっているようだった。
このままカナタとの間にも自然と距離が生まれるのが普通だろう。
男と女で趣味嗜好も違うのだ。
いくらナマイキで、男勝りで、少年漫画ばっかり読んでいるカナタだって、兄の俺と遊ぶよりは、同年代の女子とつるむようになる。そのはずだった。
「あーしもボクシングやる!」
俺が近所のボクシング教室に通い始めると、カナタもすぐに自分もやると言い出した。目をキラキラさせながら、父親から買ってもらった自分のボクシンググローブを装着している。
「父さん、またカナタを甘やかしてるのか」
家の中で下手なシャドーボクシングをやり始めたカナタを横目に見ながら、俺は隣の父親にむかって言った。
いつもオドオドして、母さんはもちろんのこと、自分の娘にだって頭があがらない父親は、やはり「ははっ」と力なく笑うだけだった。
「まあまあ、いいじゃないか。カナタがやりたいって言っているんだ。それだけで十分」
何が十分なのかさっぱり分からない。
線の細いところのある父親は存在感すら希薄だった。そんなことだから母さんが家に帰ってくる頻度がますます減るのだ。最近はカナタからも軽んじられるようになっていることに、父さんは気づいてもいなかった。
「・・・・・・・カナタの機嫌をとっておくのが、将来のためなんだ」
下手くそなシャドーボクシングをするカナタを見つめながら、父さんが深刻そうな口調で言った。
「良介も、カナタのこと、かわいがってあげた方がいいぞ?」
「え?」
「カナタが成長した後のことだよ。良介とカナタは2歳差なんだ。【学校】には、同時に入学するんだからね」
初等部を卒業した後に入学する全寮制の【学校】。
どういうわけか、男子は6年かかってようやく初等部を卒業するのだが、女子は4年で卒業と決まっていた。今は初等部3年生なので、教室で授業を一緒に受けている女子たちとも後1年とちょっとでお別れになる。そして、その2年後、俺が小6で、カナタが小4で初等部を卒業し、一緒に【学校】に入学するのだった。
「とにかく、カナタの機嫌を損なわないこと。間違っても嫌われないようにすることだ。それが良介のためなんだからね」
*
俺は父親の言うことを完全に無視することにした。
父親がこれだからカナタはいつまでたってもナマイキで増長したクソガキのままなのだ。俺はカナタに厳しくあたっていった。
「ぐええええッ」
ボクシングのリングにカナタが沈む。
一緒に通っているボクシング教室だ。
カナタは基礎練習をやらずに、スパーばかりやりたがった。それに合わせて指導役の先生たちがカナタを相手に手加減して上手に負けてやるものだから始末に負えなくなる。だから俺は現実を教えてやるために、スパー中、全力でカナタの腹をブン殴ってやったのだ。
「どうしたカナタ、もう終わりか」
ボクシンググローブを装着した右拳と左拳をバンバン打ち鳴らしながら言う。
リングに倒れたカナタは俺のことを見上げながらえづいている。そんな間も、ずっと強気な瞳で俺のことを睨んでいるのだから、ある意味たいしたものだった。でも、少しやり過ぎたかな?
「・・・・うっさい。まだまだだし」
「そうか。ならとっとと立てよ」
「だから、うっさいって」
なんとかカナタが立とうとしている。
けれどモロに腹パンを喰らったので足にきているようだった。
これが男と女の差だ。
2歳という年齢のアドバンテージだってある。
カナタが・・・・・妹が兄に勝てるなんて、あるわけがないのだった。
「ちょっとちょっと、良介くん、やりすぎだから!」
そこまでハラハラしながら見守っていた先生がリングに入ってきた。優しくカナタを抱き起こして介抱している。
「女の子さ・・・・・女の子にこんなことしちゃダメじゃないか」
「いや、これ試合なんで。真剣にやらないと」
「で、でも・・・・・今はいいけどこんな・・・・・・」
「先生?」
「と、とにかく、ダメだよこんなことしちゃ!」
なぜか先生は怯えているように見えた。
顔を真っ青にして、その体が少し震えている。
なにをそんなに怯える必要があるのか、俺にはさっぱり分からなかった。
「カナタさん、立てますか?」
先生が恐る恐るカナタの体に手をかける。
カナタはカナタで「うっさい」と先生相手にも毒づいて始末におけない。やっぱり俺がカナタに厳しくしてやらないとダメなんだ。このまま甘やかしていたらカナタがダメになる。俺は心を鬼にして、カナタの相手をしようと決心していた。
●●●
小4になった。
この頃から同級生の女の子たちの体が急成長していった。
俺たち男子よりも、身長も体の分厚さだって劣っていた女子たちが、あっという間に大人の体へと変貌していった。大人の―――母親たちみたいな大きな体に成長していく。父親や男性教師よりも恵まれた体格になるまで、そう時間はかからなかった。それは、俺が仲良くしていた女子―――クラス委員長を押しつけられるほどお人好しな奈津実ちゃんも同じだった。
「それで最近、カナタの奴、俺のこと避けるようになったんだよな。あんまり俺がうるさく言うもんだから、嫌われたのかもしれない」
俺は教室で奈津実ちゃんに妹のことを相談していた。
女のことは女のほうが分かるだろうと思っている俺は、これまでも何度か奈津実ちゃんに相談したことがあった。少しオドオドしたところのある女の子は、俺の話を真剣に聞いて、相づちを打ってくれていた。それにしても、
(デ、デカいな)
俺は目の前に座る奈津実ちゃんをまじまじと見つめた。
教室でイスに座っている女の子。その体はとんでもなくデカくなっていた。オドオドした態度とあいまって小動物みたいに見えていたのは遠い過去のようだ。
(この前の身体測定で170センチになったって言ってたっけ)
身長だけではない。
モヤシみたいだった体はムチムチになって、一言で言うならエロかった。胸だって体操着をデデンと突き破ろうとするみたいに隆起している。下半身も長ズボンがパッツンパッツンになるほどムチムチで、太かった。俺の体よりも成長した女子の体に気後れしてしまう。
「どうしたの、良介くん」
奈津実ちゃんが心配そうに声をかけてくる。
相談の途中で同級生の女の子の体をジロジロと見つめてしまったバツの悪さに、俺は「な、なんでもないよ」と答えるのが精一杯だった。
「あ、もう次の授業始まるみたいだね」
時計は6時間目の授業まで後5分であることを告げていた。
4年生になってから女子と男子は別の授業を受けることが多くなっていた。どんな授業を受けているのか分からなかったけど、別々の授業の後、なぜかクラスの女子がニヤニヤと男子のことを見つめてくることが増えた。奈津実ちゃんはそうではなかったけど、クラスの女子たちは俺たち男子のことを「下」に見ているような、そんな印象を受けた。
「ごめんな。相談つきあわせちゃって」
「ううん全然・・・・・・・でも、妹さんとははやく仲直りした方がいいよ? 卒業するまでには、絶対にね」
そう言って奈津実ちゃんが立ち上がった。
その身長差に「う」と呻いてしまう。
やはりデカい。身長が150センチしかない自分では彼女を見上げることしかできない。このまま奈津実ちゃんが俺のほうに倒れてきただけで潰されてしまうだろう。この巨体の下敷きになって圧迫死してしまう未来を思い浮かべて、俺は呆然としてしまった。
「ふふっ、がんばってね、良介くん」
「あ」
自然と奈津実ちゃんが俺の頭を撫でた。
体が急成長する前―――4年生になって男女別々の授業を受けるようになる前には考えられなかった行動だ。
慈愛のこもった手つき。
まるで愛玩動物を愛撫するような動作にうっとりしてしまう。撫でられた頭がジイインと痺れて瞳がトロンとしてしまった。そんな俺の反応を、はるか高みにある奈津実ちゃんの瞳がニッコリと見下ろしていた。
「うん。ちゃんとできてる」
「あ」
「これなら、【学校】に入学しても、お兄ちゃんのことも満足させられるよね」
なんだか独り言みたいに言って奈津実ちゃんが去っていく。
俺は一人ぼおおっとして、奈津実ちゃんに撫でられた頭をさすり、立ちつくすだけだった。
●●●
4年生としての時間が過ぎる。
同級生の女子たちはますます成長し、大人になっていく。授業もほとんど男女別になって、それまで気さくに会話していた女子たちとも疎遠になっていった。
(カナタとも会話が少なくなったな)
俺が厳しく接し過ぎたからかもしれない。
無視されるというわけではないが、会話は間違いなく減っている。
2年生のカナタはますますナマイキになっていたが、俺が口やかましく注意すると、露骨に不機嫌になり、押し黙ることが多くなっていた。「にーに」と慕っていた頃の妹はもういない。同級生の女子や、ヒナタちゃんとばかり遊ぶ毎日。この前、ヒナタちゃんが遊びにきた時も、カナタは、
「ヒナタと遊ぶから、アニキは静かにしてて」
そう言って二人だけでカナタの部屋に引っ込んでいった。
その時もヒナタちゃんだけは愛想よくあいさつをしてくれた。
妹たちと遊ぶことが完全になくなる。俺は若干の寂しさを感じながら、家の中では一人で過ごすことが多くなっていった。
2
4年生も終わり、同級生の女子たちが卒業していく。
男子たちだけで過ごす日々は、どこか奇妙なものだった。
これまで一緒に勉学に励んでいた女子たちだけが先に卒業したことに、納得のいかなさというか、置いていかれたという気持ちにさせられる。学校の授業も張り合いがなくなった。先生たち(特に男の先生)の緊張感みたいなものもなくなっているのが分かった。
どこか間延びしたような一年が過ぎる。
そして俺たちは6年生になった。
この1年が終われば俺たちも卒業できる。
その時には、4年生になったカナタやヒナタちゃんも一緒に卒業し、全寮制の【学校】に入学するのだ。
「カナタも4年生か。はやいものね」
久しぶりに家に帰ってきた母さんが言った。
家の中が小さく見えるほどの大きな体。
190センチを軽く越えた身長と、自分の母親ながら色々とデカいムチムチの体を前にするだけで、威圧感がすごい。カナタと同じ吊り目がちの瞳に見つめられると、なぜか体が震えてしまった。
「ママ、今回はいつまで家にいられるの?」
カナタが甘えん坊モードで言う。
ナマイキで強気な妹だったが、母さんの前だけは別だった。
借りてきた猫みたいに大人しく、従順な甘えん坊に変貌する。そんな娘のことを母さんも猫かわいがりするもんだから、ますますカナタは甘える。まるで今にも「ゴロゴロ」と猫みたいに喉をならしそうだった。
「そうねえ、今回は1週間くらいかしら」
母さんがカナタの頭を撫でながら、チラリと父さんを見つめて、言った。
「いろいろと、準備しないといけないから、ね? アナタ」
「は、はい。そうですね」
母さんのことを崇拝しきったトロけた瞳で見つめていた父さんがビクンと震えている。なぜかカナタのことを見て、同じように背筋を震わせていた。恐ろしい化け物でも見るような視線。それが妙に印象に残った。
「カナタはこの1年で大きくなるわよ」
母さんが笑って、
「わたしも4年生で身長がすごく伸びたもの。カナタもきっとそうなるわ」
「ほんと?」
「ほんとほんと。この1年でカナタは大人の女性になるの。それだけじゃなくて・・・・・」
何かを言いかけて、言いよどむ。
んふっとごまかすように笑って、母さんが続けた。
「学校の授業も真面目に受けなさいね」
「え~、授業きら~い」
「ダメよ。これは女の子としての義務なの。これから1年、すごく驚くことばかりだと思うけど、きちんと世界のことを学んで、立派な女性になること。いいわね」
母さんから言われればカナタも従う。
そんな娘の頭を母さんが撫でていく。
幸せそうな母娘の姿がそこにはあった。
「良介も、ボクシング、がんばりなさいね」
母さんが俺にも話しかけてくれた。
それだけで嬉しくて幸せになる。
「格闘技経験のある男子は、【学校】では重宝されるから、一生懸命がんばりなさい」
「う、うん。俺、強くなるよ。カナタを守れるくらいに、強く」
「・・・・・・そうね。とにかく、体力と耐久力をつけること。いいわね?」
久しぶりに母さんから期待されている。
それが嬉しくて、俺はボクシングを一生懸命がんばろうと、固く決意していた。なぜか父さんだけが心配そうに俺のことを見つめている中で、久しぶりの家族団らんが続いていった。
●●●
俺は6年生。
カナタは4年生。
最初の数週間はとくに変わらなかった。
これまでどおりの生活が続く。
変化というか、違和感を覚えたのは、4月が終わりに近づいた頃のことだった。
(カナタの奴、デカくなってる?)
ちびっこくて、すばしっこい猫みたいな体が、若干ではあるが大きくなっている気がした。さすがに俺より身長が高いということはない。けれど大きくなっていることだけは間違いなかった。
(母さんが言ってったっけ・・・・・・この1年でカナタが大きくなるって・・・・・・2年前の同級生の女子たちみたいに、カナタも成長するのか?)
俺よりも。
兄よりも身長が高くなるかもしれない妹。
その未来をうまく想像できない。
これまでカナタといえば俺より小さくて、守るべき存在だった。身長だって、体格だって、俺のほうがカナタよりも上だったのだ。
(俺よりカナタのほうがデカくなる)
そう考えただけで焦燥感にかられる。
妹に追い抜かれてしまうかもしれない恐怖。
俺は無駄かもしれないと思いながらも、冷蔵庫から牛乳をとりだしては、ゴクゴクと飲むようになった。ボクシングの練習で汗をかき、睡眠時間も長くとるようにした。ご飯だってムリヤリおしこめるように食べた。吐きそうになるほど食いまくる。それもこれも、妹に背を抜かれたくないからだ。しかし、
「おかわり」
カナタの声にビクンとなる。
夜の食卓。
そこで俺と父さんとカナタで食事をとっていく。
4年生になってからというもの、カナタの食欲はとどまることを知らなかった。丼で白米を平らげ、これでおかわりは4回目だ。
「ど、どうぞカナタさん」
「ん」
おかわりを運んできた父さんに礼を言うこともなく、カナタが丼飯をかきこんでいく。
炭水化物だけでなく、たんぱく質もあきれるほど摂取している。
カナタの前に並べられた肉料理のあらかたがなくなっているのが分かった。山と積まれた豚の生姜焼きがいつの間にか消えている。今も、カナタはどデカいステーキを箸でつかんで持ち上げ、ガブリと噛みつきやがった。そのまま強靱な顎で食いちぎって、むしゃむしゃと咀嚼し、ゴクンと飲み込む。それが繰り返されて、すぐにステーキもなくなってしまった。
(4次元ポケットか、こいつの胃袋)
明らかに胃袋のサイズ以上の食物を食べているようにしか見えなかった。同じ人間とは思えないほどの食欲だ。
(このままじゃマズい)
俺も負けじと食べていく。
ムリを言ってカナタと同じ量を父さんには準備してもらっているのだ。俺の前に並べられた肉料理のほとんどが残ったままだった。大量に山積みされた生姜焼きは山のまま残っている。俺は「う」と呻きながら生姜焼きを口に運び、咀嚼する。けれどもコレを飲み込むことを体が拒否していた。
「う」
吐きそうになる。
それを必死に耐えた。
もう噛むことも諦めて、目をつむって、ムリヤリ飲み込む。
瞬間に逆流しそうになって「おええ」とえづき、それでもなんとかゴクンと飲み込んだ。一息ついて、目をあけると、そこには生姜焼きの山と、まだ手つかずのステーキが飛び込んでくる。心が折られて、それきり、俺の箸は動かなかった。
「アニキ、それ食べないの?」
カナタが目をギラギラさせながら言う。
俺に向けての言葉なのに、その瞳は俺の前に並べられた大量の食物を凝視していた。
「あ、ああ。ちょっと食欲なくて」
「じゃあ、もらっていい?」
「え?」
「あーしが食べてもいい?」
驚きが全身を支配する。
あれだけ食べて、まだ食べ足りないのか。
ほんとうに目の前の妹が別の生き物に見えてきた。
「か、カナタ、さすがに食べ過ぎじゃないか?」
「ぜんぜんだって。なんか最近、食べても食べても足りないんだよねー」
「そ、そうなのか」
「うん。ヒナタもそう言ってるよ? あーしのクラスの女子もみんなそう。学校の給食も多めにしてもらってるけど、それでもぜんぜん足りないし」
2年前の同級生の女子たちを思い出す。
確かに彼女たちも、4年生になってからたくさんご飯を食べるようになった。おそらくそれからだ。彼女たちが急成長を遂げたのは。
(カナタも成長する)
それが予感として分かるようになる。
何も言えずに呆然としている俺のテーブルから、カナタがひったくるようにして生姜焼きの皿を強奪していく。
そのまま妹はパクリパクリと生姜焼きを口に運び、咀嚼し、飲み込んでしまう。異次元の胃袋。強烈な食欲。妹の食事の光景に圧倒され、それだけでお腹いっぱいになって、俺はそれ以上、何も食べられなくなってしまった。
●●●
ボクシングをがんばりなさい。
母親から言われた言葉だ。
それだけでなく、母親は俺にこうもアドバイスをしてくれていた。
「炊事洗濯、【学校】に入学するまでに、みのまわりのことは全部できるようにしておきなさい」
母さんが、チラリとカナタと父さんを見つめてから、
「それが良介のためなんだから、ね?」
よく分からなかったが、母さんの言うことは絶対だ。
俺は父さんに教わりながら、晩ご飯をつくる手伝いをするようになった。そのほかにも掃除や洗濯もきちんとできるように学んでいく。洗濯物をとりこんで畳むのは俺の仕事だった。
「カナタの服、だいぶ小さくなってきたな」
成長を続けていく妹の体に引き伸ばされて、衣服の傷みも激しかった。それをテキパキと畳んでいく。最後に残ったのはカナタのブラジャーだった。
「ごくっ」
思わず唾を飲み込んでしまう。
4年生になってからつけ始めたブラジャー。
そのサイズは日々大きくなっていて、目の前のブラも一見しただけでサイズが一回りデカくなったことが分かる。大人の女性がつけるような刺繍が施された純白の下着。なんのきなしに手にとり、裏返す。そこに記載された文字を見て驚愕してしまった。
「い、Eカップ・・・・・!」
デカいデカいと思っていたがここまで大きいとは。
最近ますます成長してきた妹のおっぱいの大きさに驚いてしまう。胸だけではなく、身長だって成長を続けていく。大人になっていく妹の体・・・・・それがなんだか、置いていかれるみたいで、すごく怖かった。
「と、とにかく洗濯物畳まないと」
俺はカナタのブラを意識から遮断して畳んでいく。
それでも脳裏にはEカップの記号が浮かぶ。
チラチラと妹の下着を盗み見ては、それを遮断しようと無駄な努力を続けていく。洗濯物を完全に畳むまで、カナタの大きなおっぱいが頭から離れることはなかった。
*
朝の日課となっているジョギングをこなす。
5月をむかえ、若干ではあるが汗ばむ季節になってきた。
3キロのランニングから帰ってくる頃には汗だくになる。息を荒くしながらも、すがすがしい朝の空気を肺いっぱいにとりこんで家に帰ると、寝起きのカナタがキッチンで牛乳を飲んでいた。
「おっはー、にーに」
寝起きで寝ぼけた頭のせいなのか、呼び方が昔に戻っている。
まだ眠そうな瞳ながらも、牛乳パックから直にゴクゴクと牛乳を飲み始めた妹の姿に、イラっとした。
「カナタ、その牛乳、俺も飲みたかったんだけど」
「え、ああ、ごめんごめん。もう飲んじゃった」
牛乳パックを逆さにして振ってくる妹。
一本丸々を朝飯前といった感じに飲み干したカナタの姿に、やはり戦々恐々とする。
(カナタの奴、ますますデカくなってやがる)
信じたくない。
信じたくないが、カナタと俺の目線が同じになっていた。
これまでは俺がカナタのことを見下ろしていた。
年上の兄が年下の妹よりも身長が大きいなんて当然のことだ。そう思っていたのに、現実は非情だった。俺とカナタの身長はほとんど同じだ。4年生になってからまだ1ヶ月しかたってないのに、カナタはもう俺の身長に並んでしまっていた。
(身長だけじゃない・・・・・胸も・・・・・体だって、分厚くなってる)
モヤシみたいな体が大きくなっている。
胸だってさらにすくすくと成長していた。
きわめつけは太ももだった。
(ますますムチムチして・・・・・う、長くて太い脚とか、反則だろう)
露出が高い格好を好むカナタは、よく日焼けした小麦色の美脚を惜しげもなくさらしていた。
ホットパンツごしに伸びた脚は、長く、美しく、それでいてムチムチしていて大人っぽかった。胸だけでなく、脚も含めて、カナタの肉体は急速に大人になっていた。
「それにしても、がんばってるねー、アニキ」
目が覚めてきたのか、カナタが俺に近づいてくる。
近くまできて、まじまじと見つめられる。
猫みたいにナマイキな目力たっぷりの瞳が、俺のことをじいいっと凝視してくる。その不思議な魔力に俺は「う」と呻いてしまった。
「な、なにがだよ」
「ボクシングだって。今日もジョグ行ってきたんっしょ?」
「ああ」
「放課後もボクシング教室で練習?」
「そうだよ」
「いいなー。あーしもボクシング続けたかった」
カナタはボクシングを辞めた。
正確には辞めさせられた。
これも母さんの命令だった。
4年生になってからすぐに、カナタはボクシング教室に通うことを禁じられた。「女の子なんだから危ないでしょ」というのがその時の母さんの言葉だった。「大ケガさせちゃったらどうするの」というのはよく分からなかったけど、俺もカナタがボクシングを続けることには反対だったので、母さんの命令にはすぐに賛成した。けれど、ボクシングをやりたいというカナタの希望も、できれば叶えてやりたかった。だから、
「そんなにボクシングやりたいなら、俺が練習見てやろうか」
「え?」
「母さんに逆らうわけにはいかなけど、パンチのフォームとかなら見てやれると思うけど?」
ボクシング上級者の俺が教えてやれば、少しはマシなパンチを打てるようになるだろう。
体が成長する前のカナタはへっぴり腰で手だけでパンチをしていて見ていられなかったのだ。それもきちんと俺が指導してやれば、改善するはずだった。
「あ~、いや、いいよいいよ。うん」
なんだか微妙な反応をしてくるカナタだった。
こちらをチラチラと見つめて、なんだか気まずそうだ。なんなんだと思う間もなく、カナタが神妙な面持ちで続けた。
「アニキも男なんだよね」
「は? あたり前だろう」
「そうだよね・・・・・学校の授業で教わってるとおり、アニキも【男】なんだよね」
それきり押し黙るカナタだった。
4年生になったので、最近、カナタは男女別で授業を受けている。女子たちがその授業で何を学んでいるのかは分からなかった。いったい、カナタは授業で男の何を学んでいるのだろう。
「すぐアニキの背、抜くから」
カナタがナマイキな妹に戻り、勝ち気な笑顔を浮かべて言った。
「たぶん一瞬だと思うよ。あーしがアニキより背高くなるの」
「う、うるせえ。最近背が伸びてきたからって調子に乗るなよ」
「え~、だってもうほとんど背変わらないじゃん。秒殺だよ秒殺」
「お、俺だって背が伸びるはずだ。おまえが成長したんだったら、俺だってデカくなるよ」
そのためにトレーニングをがんばってきてるんだ。
メシだってたくさん食べるようにしている。
食っちゃ寝ばかりしている怠惰な妹なんかに負けるわけにはいかなかった。
「ふふっ、どれだけ差ができるか楽しみ~」
カナタが笑う。
その笑顔はニンマリとした嗜虐性に満ちたものだった。
●●●
結論から言うと俺はあっけなく負けた。
カナタはどんどんデカくなった。
食事の量もさらに多くなり、よく食べ、よく眠った。
その結果はすぐに現れた。
家の中、
カナタとすれ違う瞬間、
俺は気づいてしまった。
(俺、カナタのこと見上げてる!?)
カナタを見る時、俺は自然と見上げていた。
首を上にあげる。視線もあがる。その意味は明らかだった。
(俺より、カナタのほうが、身長が高い)
どくんと心臓が脈打つ。
信じたくない。
信じたくないが、現実は非情だ。
俺がカナタを見上げる角度が、だんだんと大きくなっていく。妹は日々成長しているのだ。それに比べて、兄である俺の身長は伸びないままだった。少しづつ、妹との身長差がひらいていく。
(く、くそ)
現実が受け入れられない。
妹より背が低くなってしまったなんて、信じたくない。
だから俺は背伸びをするようになった。
妹の近くにきた時だけ、爪先立ちになる。
それで少しでも背を伸ばそうとする。
妹に気づかれないために。
兄の身長が妹よりも低いことをさとられないようにするため、俺はバレリーナみたいに爪先立ちになって、背伸びをするのが日常になってしまった。
「出かけてくるね」
日曜日の家の中ですれ違う。
よそ行き用のオシャレをしたカナタの姿は妹ながらキレイだった。ホットパンツから伸びるムチムチで筋肉質な太ももに目が奪われる。ヘソ出しのTシャツを押し上げている爆乳もとにかくエロい。しかし、妹の姿に心を奪われているヒマなんてなかった。
「おお、ヒナタちゃんと遊ぶのか?」
すくっ。
自然を装って爪先立ちになる。
妹と同じ視線になるように背伸びをする。
ふくらはぎが痛い。ふらつかないように注意しながら会話をしなければならないのも負担だった。それでも俺は爪先立ちをして、カナタとむかいあっていた。
「そーそー。晩ご飯いいから、アイツにもそう言っておいて」
「おまえなー。父さんのことアイツ呼ばわりは止めろよ」
「いいんだってあんな奴。あーしのことすっかり崇拝するようになって、きもいんだよね」
カナタの言っていることの意味がよく分からない。
というか、それどころではなかった。
爪先立ちしたふくらはぎがプルプルと震えてくるのが分かる。
指の付け根ではなく、指先で立たないといけないほどにカナタとの身長差がひらいているのだ。限界まで爪先立ちして、ようやく妹と同じ視線で話せるという屈辱。俺は必死に爪先立ちで耐えながら、平然をよそおって妹と会話していった。
「それじゃ、いってきまーす」
機嫌良く言ってカナタが玄関のドアをあける。
その姿が見えなくなった瞬間、俺は尻もちをついて、へたりこんでしまった。
「はあはあ、危なかった」
脚がプルプルと震えて立っていられなかったのだ。
そこまで俺とカナタの身長差はひらいてしまっているのだった。それがとにかく屈辱的だった。
「これから、カナタはますますデカくなる」
それが分かる。
爪先立ちしても同じ視線にならなくなってしまう未来。
そんなことを想像するだけで心が沈む。
兄よりも妹のほうが身長が高い。
惨めだった。
*
身長だけではない。
カナタの成長は頭脳面にも及んでいた。
これまで学業成績が良くなかったカナタが、テストで満点ばかりとるようになったのだ。
「カナタは順調に成長できてるわね」
母さんが言った。
カナタから手渡されたテスト用紙を見ながらの言葉だ。1学期の中間テストの結果が出たのだった。カナタは全教科で100点をとっていた。
「簡単だったよ~。楽勝だった~」
甘えん坊モードになったカナタが言う。
そんなカナタの頭を母さんが撫でてやっている。幸せな母娘の交流がそこにはあった。
「よかったわ。これなら【能力】の発現も問題なさそうね」
「うん。この前、検査でBDNFの数値はかったんだけど、ちゃんとあがってるってさ。脳神経もばっちり成長してるみたい」
「それなら安心。hGHの数値も良いみたいだし・・・・・・ふふっ、これなら立派な【女の子様】になれるわよ」
愛情たっぷりに母さんがカナタを撫でていく。
それにしてもカナタはすごかった。
テスト回答用紙を手にとって見てみると、確かにすべて100点満点なのだ。しかもテストの範囲は4年生ではなく、5年生の3学期に習う範囲まで含まれていた。カナタたちは4年で卒業なのだから、小5と小6の範囲を1年で学ばなければならないのだろう。それなのに、その膨大なテスト範囲で楽々と100点満点をとってしまうのだから、カナタはすごい。
(いや・・・・・よく考えれば、女子はみんなそうだよな)
俺が小4だった頃を思い出す。
奈津実ちゃんたちも同じようにテストでは毎回100点満点だった。難しい問題を楽々解いていたっけ。同級生の女子たちが、小4で体が大きくなるのと平行して、なぜか頭まで良くなっていったことを思い出す。
「でも、立派な【女の子様】になるためには、テストだけでなく、実技でもがんばらないとね」
母さんが言った。
その視線が父さんに向けられる。
ビクンと父さんの背筋が震えるのが見えた。
「今日もコレを使って練習しなさい」
「えー、もう大丈夫だよー。カナタ、矯正の授業の成績だって良いんだよ?」
「ダメよ。学校の授業だけでなく、家でも予習復習をしなきゃ。そのために準備しているんだからね」
有無を言わさない言葉。
カナタがゴミでも見るような冷たい視線で実の父親のことを睨みつけた。
「だってこいつ気持ち悪いんだもん。弱いし」
「ふふっ、ダメよ。お父さんのことそんなに悪く言っちゃ」
「ほんとのことだもん。こんな奴がカナタの父親だなんて、そんなこと考えたくもない」
蔑むような視線で父さんのことを睨んでいくカナタ。
そんな目にあっているのに、父さんは何も言わず、逆になぜか「ああああッ」と陶酔した瞳で娘のことを見上げていた。
「きもっ」
カナタの辛辣な言葉に冷たさが増す。
何がなんだか分からない俺は、黙って母さんたちのやりとりを見つめることしかできなかった。
「良介」
母さんが俺のことを見つめながら声をかけてくる。
「ボクシングの練習、がんばってる?」
「う、うん。がんばってるよ。毎日3キロ走ってる」
「そう。持久力と耐久力よ。それを忘れないでね」
母さんが俺のことを気にかけてくれているというのが嬉しくて仕方ない。俺はもっとがんばろうと、そう決意する。そんな俺のことを何故かカナタがニヤニヤしながら見下ろしていた。
つづく