小学時代の奈津美は泣き虫で、いじめられるとよく泣いていた。
大人しい性格の奈津美は、ことあるごとに、からかわれていたのだ。
そんな奈津美をかばうようにして、俺は奈津美と一緒にいたのを覚えている。
泣きじゃくる奈津美をおんぶして、家路についたこと。
まだ身長も小さかった奈津美の体を背負うのは簡単だった。
泣くのをやめない奈津美を励ましながら、家路を帰ったあの頃。
俺が奈津美を守ってやるんだと、そう心にきめていた小学時代。
そう、思えば―――
奈津美のことを特別な人間だと思い始めたのは、その頃からかもしれない。
幼心ながら、奈津美が泣くとひどく哀しくなった。
奈津美が辛そうにしていると、身が張り裂けそうだった。
反対に、奈津美が笑ってくれると、心の底にポカンと温かいものが流れたのだ。
奈津美のことは俺が守る。
そう決心して、彼女の傍にいたこと。
何度も何度も、いじめられて泣きじゃくる奈津美を背負って帰ったこと。
そんな、もう二度と訪れることはないだろう時間。
俺はどういうわけか、その時の夢を見ていた。
「あ、翔ちゃん。気がついた?」
心地よい振動で目を覚ますと、いつの間にか俺は外に出ていた。
寝ぼけ眼で周りを見渡せば、街路樹が均等に植えられた歩道がある。
どうやらここは、校舎から寮へ行くための歩道らしかった。
何人か制服姿の男女の姿があって、どこか活気に満ち溢れている。
しかし、俺はいつのまに外に―――
「って、な、奈津美!?」
寝ぼけていた頭が一瞬にして覚醒した。
俺は今、奈津美におんぶされていた。
そこには、小学校時代の病弱で小柄な少女はいない。
10歳になり、身長も体格も大きくなった躍動感あふれる肢体。
成長しきった幼馴染の女の子に、俺はおんぶされていて……
「な、なんで俺、奈津美におんぶされてるんだ?」
「だって、翔ちゃん気絶しちゃって全然起きないから……しかたなく奈津美がおんぶしてるんだよ」
「え?」
サアアっと背筋が凍る。
それは、さきほどの奈津美の調教を思いだしたからだ。
その圧倒的な怪力で首を絞められ、殴られ、太ももで挟み込まれたこと。
そのすべてが、俺に耐え難い恐怖を植え付けていた。
そうだ……
今、俺と密着している奈津美の魅惑的な体は、自分たち男子とは比べ物にならない力をもっているのだ。
奈津美が気まぐれをおこせば、避けることのできない地獄が待っている。
命乞いをしても許されず、奈津美が満足するまで、徹底的に調教される……。
こわい。
俺は、幼馴染の女の子の体に、明らかな恐怖を感じていた。
「な、奈津美……もう大丈夫だから、お、おろしてくれないか?」
こんな拘束下では、いつなんどき、ひどい目にあわされるか分からない。
俺は、声がうわずらないように、必死に努力して奈津美に声をかけたのだが、
「え? なんで? 奈津美なら平気だから、遠慮なんてしなくてもいいんだよ、翔ちゃん」
「い、いや遠慮とかそういうのじゃなくて……」
「―――?」
俺の言葉に振り向き、キョトンとした表情を浮かべる奈津美。
瑞々しく塗れた大きな瞳が、俺のことを凝視してくる。
その澄み切った瞳を見えていると、どこかに吸い込まれてしまいそうになる。
そんな見慣れた表情―――それは昔のままで、どこも変わったことなどないように思える
しかし、奈津美が昔のままであるはずがなかった。
それは、さきほど地獄のような調教を受けた俺が一番よく知っている。
今では奈津美は、俺よりも比べ物にならないほどの強さを手にしているのだった。
「と、とにかくおろしてくれよ、奈津美。ほら、周りにも人がいるからさ。恥ずかしいだろ?」
なんとか解放されたい一心で、そんなことを言ってみる。
しかし奈津美は、
「別に恥ずかしいことなんてないよ」
「いや、だって……」
「もう、まだ自覚してないの? そりゃあ、今までは奈津美が翔ちゃんにおんぶしてもらってたけど、それはもう昔のことなんだよ?」
「む、昔のこと?」
「そうだよ。だって、奈津美のほうが翔ちゃんより何倍も力強いんだもん。これからは、奈津美が翔ちゃんのことおんぶしてあげるの」
「…………」
「役割が変わったんだよ。ふふふ、これからは、奈津美が翔ちゃんのこと守ってあげるからね。小学校の頃、翔ちゃんが奈津美にしてくれたみたいに」
言葉もなかった。
役割が変わってしまったこと。
もう、奈津美は俺の力を必要としていないこと。
どころか、これからは俺が奈津美に助けられていくであろうこと。
それらが、直感として脳裏をかけめぐった。
なんだか泣きそうになってしまった。
「翔ちゃん、奈津美のこといっつも守ってくれたもんね。奈津美が泣いてたら傍にいてくれたし、いじめられてたらすぐ助けにきてくれて……ほんとう、感謝してもしきれないよ」
「奈津美……」
「だから今度は奈津美の番なの。大丈夫、任せて。奈津美がちゃんと、翔ちゃんのことを一人前の男子にしてあげるから。何も心配しなくていいんだよ?」
それきり黙って、奈津美は黙々と歩いていく。
その足取りはしっかりしたもので、俺の体をおぶってもまったく負担に感じていないみたいだった。
昔の病弱だった頃が嘘のように、今の奈津美は生命力溢れる少女にかわっている。
俺の目の前にある背中。
おんぶされているので、俺の体は奈津美の背中と密着している。
温かい体温と、女性らしい柔らかな肉体。
それらを備えていながら、奈津美の背中は、大きくて、逞しい。
なんだか、この背中に身を任せ、おんぶされていると、どこか居心地のいいような安心感が全身を満たすのを感じた。
母親の背中というか、
絶対に自分は傷つけられないという安心感。
そんなものを、俺は幼馴染である奈津美から感じる。
おまけに、奈津美の体はとんでもなく柔らかくて、しかもいい匂いがする。
いつの間にこんなに女っぽくなったのだろう。
奈津美の長い髪が顔にあたって、くすぐったい。
奈津美の髪の匂い―――シャンプーの匂いに全身を支配されているような気分になる。
腕にはときおり、奈津美の大きな胸があたるし……
歩くときに伝わる振動によって、柔らかい奈津美の体に俺の股間が擦り付けられてしまって……
なんだか、妙な気分に、
「って、奈津美? お前、どこに向かってるんだ?」
と。
周りの景色を見て、奈津美に疑問の声をなげかけた。
中学では全員、寮にはいることになっている。
そして、当然のように男子と女子では違う寮に入ることになるのだが、さきほど、女子寮と男子寮の分岐点を通過してしまったのだ。
このまま直進すれば、豪華ホテルもかくやというような女子寮が見えてくるだろう。
だから俺としては、とっとと降ろしてもらい、男子寮へと帰りたいと、そう思ったのだが、
「あれ? 翔ちゃん。奈津美言ってなかったっけ?」
「な、なにを?」
奈津美は、ふふふ、と楽しそうに笑ってから、
「翔ちゃんは、これから奈津美と一緒に住むんだよ? 女子寮の私の部屋で」
「は?」
「これから24時間。ず〜と一緒だよ。よろしくね、翔ちゃん」
(続く)