三


 俺たちは学校近くのファミリーレストランに集まっていた。

 都内の試合会場で試合を終えた男子部員たちも一緒だった。その目的はただ一つ、純菜の初戦勝利を祝うためだ。


「それでは、純菜くんの勝利を祝って、乾杯」


 部長の音頭にあわせて、ドリンクバーのコップを盛大にあわせて乾杯する俺たち。

 主役はもちろん純菜で、男子部員全員が純菜のことを祝福していた。


「しかし、純菜くんの勝利には驚かされた。まさか、あの優勝候補の榎本に勝利してしまうなんてね」

「しかも圧勝だもんなあ。BL学園の奴ら、真っ青になって信じられないって顔してたぜ」

「あ、ちょうど動画がアップされたみたいですよ」


 試合会場にいなかった部員たちがすかさず自分のスマフォをチェックする。

 映し出されたのはフィニッシュを決め、榎本を気絶させた後で、彼の吐き出した精液を見せつけているシーンだった。テレビもその試合を特報級に扱っていて、突如として現れた女神の誕生を祝福していた。


「ありがとうございます。これも、みんなが協力してくれたおかげです」


 純菜が真面目に言った。

 ニッコリと笑った彼女は見る者を優しい気持ちにさせる表情を浮かべていた。この真面目で控えめな少女が、動画内で優勝候補のバトルファッカーを再起不能に陥れたあの淫らなサキュバスと同一人物だとは信じられないほどだ。


「あ、やっぱり榎本選手、ダメみたいッスね」


 佐藤がバトルファッカーニュースの掲示板を見て言った。

 俺も掲示板を見てみると「病院送りになった榎本選手が残りの試合を全て棄権することになった」と速報で報じられていた。


「まあ、夢野さんのパイズリきまったらああなっちゃうのも無理ないよな」

「そうそう。むしろよく死ななかったよ」

「いつもさんざん絞りとられてる僕たちだって慣れることないんだからな。初見で対処しろっていうほうが無理だよ。でも、優勝候補がちょっと情けないよね」


 男子部員たちが口々に純菜を誉める。

 藤山副部長を筆頭に、男子部員たちはまるで我がことのように喜び、純菜のことを誇っていた。純菜はそんな様子を嬉しそうに見つめていた。しかし、彼女はそんな中でも度を越して浮かれている男に厳しい視線を向けた。


「藤山副部長」


 純菜の冷たい声に副部長が石になって硬直する。

 優しそうな線の細そうな先輩は見るからに緊張して、「な、なんでしょうか純菜さん」と敬語で返事をした。


「あなた、自分の立場が分かってますか?」


 シーンと静まりかえった部員たちの中で、指導者としての純菜が厳しい眼を副部長に向ける。


「あなた、今日の試合で3分ももたずに失神KOでしたよね。恥ずかしくないんですか?」

「そ、それは」

「別に弱いことは今に始まったことではありませんけど、そんな惨敗していて、榎本さんのことをバカにするなんて許されるわけないって分かってますよね? あの人は最後まで私に向かってきましたよ。あなたはどうなんですか?」

「ひ、ひい。す、すみませんでした」


 ガチガチと震える副部長だった。

 そこに先輩としての威厳は何もなかった。その様子は見ているだけで痛々しいもので、情けなかった。


「ま、まあまあ純菜くん。藤山も、悪気があったわけじゃないんだ。許してやってくれないか」


 部長が取り繕うようにして言った。


「しかし、純菜くんの言うとおり榎本のことを悪く言うのはナシだ。彼も立派なバトルファッカーであることは間違いないことだからな。敗者を陥れることはしないでおこう」


 その言葉に、純菜の怒りもおさまったようだった。「部長がそう言うなら」と、岸田部長の顔をたてて、それ以上の叱責を続けることはなかった。


「それじゃあ、純菜くんの勝利を祝ってもう一度乾杯しようじゃないか」


 部長が仕切り直して言った。

 男子部員たちは純菜の顔色を見ながら祝杯を続けた。途中で藤山副部長が純菜のドリンクバーのお代わりを率先して運んでいる様子が印象的だった。まるで純菜の子分のようになってしまった藤山副部長を見て、俺はなんだか哀しくなってしまったのを覚えている。


 *


 祝賀会の帰り道。

 俺と純菜は二人きりで帰宅の途についていた。電車で自宅の最寄り駅でおり、後は徒歩。夏の熱気が夜なのにまだ残っていて、汗ばむのを感じた。

 驚いたのは駅や電車内での出来事だった。何人か、純菜にサインを求めてきた人たちがいたのだ。しかも、そのほとんどが女性であることが驚きだった。ふつう、女性バトルファッカーのファンは男性ばかりとなる。それが、まるでアイドルを前にする追っかけファンのように、女性たちが純菜に群がっていた。


「わ、わ、あ、応援ありがとう、ございます」


 慣れないことにアタフタしながら純菜が不器用にサインを書いてあげていた。

 崩したサインなんて準備しておらず、ごくふつうに「純菜」と書いていた。それだけでも嬉しいらしく、声をかけてきたファンたちは「がんばってください」「かっこよかったです」「応援してます」と興奮した様子で純菜に声をかけていたのだ。


「しかし、本当によく勝てたな。すごいよ」


 俺は隣を歩く純菜に声をかけた。


「勝算はあったのか? いきなり勝負をしかけてたけど」

「うん。健ちゃんにもらった動画で研究してたんだけど、コレならいけると思ったんだ。下手に小細工をしなくても正面から当たれば大丈夫って」

「そうか」

「これも健ちゃんのおかげだよ。14組に入ったとき、ほかの人たちは諦めモードだったけど、健ちゃんだけは勝利のために色々助けてくれた」

「いや、俺なんて動画をおまえに渡しただけで」

「それが大きいことなんだよ。本当にありがとうね、健ちゃん」


 心の底から感謝しているのが分かる純菜の様子に、俺も照れくさくなってしまった。

 俺は顔を真っ赤にしてそっぽを向いて歩くしかなかった。そんなふうに歩いていると、俺の中に疑問が生まれてくるのを感じた。それは、榎本選手との試合が終わった後からひっかかっていることだった。俺は隣の純菜に質問していた。


「なあ、あそこまでやる必要って本当にあったのか?」

「え?」

「榎本選手に対してさ。あれじゃあオーバーキルなんじゃないのかよ。病院送りにするまで絞りとる必要があったのかなって」


 純菜のパイズリは執拗に榎本選手をいたぶるものだった。

 その屈辱的な敗北によって、榎本選手の株価は急落し、スレッドには白目でアヘ顔になった榎本選手の顔写真が乱立して、彼のことをバカにするスレが目立つようになっていた。

 あそこまでやる必要が本当にあったのだろうか。これでは西園寺選手が言っていたスポーツマンシップに反することになるのではないか。俺はその疑問を純菜にぶつけてみた。


「うーんと。確かに、思っていたより弱くて、手加減を間違えちゃったっていうのはあるかもしれないかな」


 純菜が言った。


「でも、それより初戦が大事だったんだ。榎本さん以上に強い人は、たぶん14組にはいないはずだからね。ここで圧勝しておけば、後が楽だと思ったんだよ」

「どういうことだ?」

「ほら、バトルファックって、メンタルが大事でしょ? BL学園の精神的支柱をボコボコにしちゃえば、後は勝手に自滅してくれるかなって、そういう計算もあったんだよ」

「そ、そんなにうまくいくもんかな。ほかのBL学園の奴らだって、猛者ぞろいだろ?」

「うーん。まあ、大丈夫だとは思うけどね。健ちゃんがそう言うなら、次の試合も油断しないで徹底的にやるよ」


 その時、純菜の瞳が妖艶な光を帯びた。

 ニンマリとしたその笑みに俺の背筋が凍った。まるで、横に立っているのは幼なじみの少女ではなく、男の精を奪いとる化け物のように感じられた。俺は初めて、純菜のことが怖いと思った。


「だから、次の試合もちゃんと見ててね、健ちゃん」


 そう言って純菜はニッコリと笑うのだった。

 そこには天真爛漫とした天使の笑顔だけがあった。そのギャップにめまいがした。俺は「あ、ああ」と力なく応えることしかできなかった。




つづく