最近よく夢を見る。

 昔の―――まだカナタが成長する前の夢だ。

 俺とカナタはボクシング倶楽部に通っていた。

 兄である自分のほうが強い。

 ナマイキな妹にお灸をすえるためにタコ殴りにしたことがある。

 夢の中でも俺は妹を殴っていた。



「おらカナタ! まいったしろ!」



 まだ小さい妹の腹をフック気味で殴る。

 するとカナタの体は宙に浮かんで串刺しになった。

 妹が苦悶の表情に歪む。

 それを見ると俺の心が満たされるのが分かった。



「おらっ! おらっ!」



 殴る。

 殴りまくる。

 妹の顔面がボコボコになっても止めない。

 夢の中では俺を止めるコーチもいない。

 ボクシングなら勝てる。

 勝てるんだ。

 俺でも妹に勝てる。

 そこまで充実して―――目が覚めた。



 *



「最悪な夢だな」



 ベットの中で罪悪感にまみれながらつぶやく。

 なんだかとてもひどいことをした気がする。

 妹をタコ殴りにして勝ち誇るなんて最悪の兄貴だ。

 そんな夢を見た理由も分かっていた。



(普段は俺がボコられてるから・・・・・・小さい頃カナタに勝てた記憶を増長させて悦にひたってたんだ)



 調教は毎日のように続いていた。

 家の中ではカナタと二人きりだ。

 それは地獄拷問に他ならなかった。

 妹の巨体で押し潰され、太ももで挟み潰され、おっぱいで窒息する毎日。学校といえども安息の地ではなく、俺だけでなく男子全員が2歳年下の女子に虐められていく。



(体の強さでも・・・・・頭の良さでも負けてる・・・・・)



 それを分からされていく。

 もう俺たち男子が女子に勝てるものなんて何もない―――本来ならばそうやって全てを諦めてしまっていただろう。



(俺には・・・・・ボクシングがある)



 さきほどまで見た夢を思い出す。

 俺はぐいっと拳を握っていた。

 固めた拳を見つめ、自分に残された最後の誇りを確認する。



(ボクシングなら・・・・・・勝てる、はずだ)



 子供の頃からやってきたボクシング。

 己の人生のすべてをかけてきた競技だ。学校に入学してからも鍛錬を欠かしたことはなかった。まさに自分の血肉になっているボクシングなら妹に負けない・・・・・・はずだった。



(確かに身体能力なら負ける。純粋な力勝負になったらアウトだ。だけど、)



 ボクシングは殴り合うだけではない。

 フットワークをいかしてアウトリーチから責める戦術もあるのだ。

 パンチといっても力任せではあたらない。

 一朝一夕で身につくことはない技術。

 ボクシングをずっと続けていた俺には、ボクシングの技術という点で、圧倒的なアドバンテージがあるのは明らかだった。



(やるぞ・・・・・ボクシングなら勝てるんだ・・・・・)



 そう思いながら拳をさらに握る。

 ちょうど今日から部活動の体験入部が始まることになっていた。

 生徒は全員、なんらかの部活動に入らなければならない。

 とうぜん俺はボクシング部を選ぶつもりだ。

 カナタもボクシング部に入部すると言っていた。

 これはチャンスだった。



(カナタに勝つんだ。ぜんぶ負けっぱなしなんて、そんなの兄として許されない)



 俺は燃えあがる気持ちを抑えながら決意を固めた。

 ぎゅっ、と拳だけを握りしめた。



 *



 放課後。

 さっそく俺とカナタはボクシング部の門を叩いた。

 学校敷地内に備えつけられたジムはボクシング部のためだけの施設だった。

 サンドバックやパンチングマシーン。フォームをチェックするための一面の姿見。さらには中央に二つのリングまである。本格的なボクシングジムだった。



「す、すげえ」



 ジムに入った瞬間に度肝を抜かれた。

 設備の豪華さだけではない。その中で汗をかいている男女の迫力に面食らってしまったのだ。先輩女子の大迫力のパンチがサンドバックを滅多打ちにしている。体力強化のための縄跳びや腹筋がそこかしこで行われていた。ボクシングに打ち込む人たちの汗でジム内に熱気がこもっているのが分かる。俺は制服姿のままで、ただ呆然とその光景を見つめていた。



「やあ、よく来たね。わたしがボクシング部の部長だよ。早乙女(さおとめ)だ。仲良くしてね」



 短髪のボーイッシュな先輩女子が声をかけてくれる。

 練習中とあって、部長の体には汗が噴き出ていた。

 180センチを優に超す長身。

 ヘソ出しタンクトップから露出した腹部はバギバギに割れている。

 贅肉一つない体つきなのに、おっぱいだけはデカい。そんな鍛えられたボクサーを前にして、俺たち男子は圧倒されてしまった。



「君たち1年男子とは同い年だ。わたしたち女子は2年前、先に入学したからね」



 部長が俺たちに向かって言う。



「この中にも見知った顔が何人かいる。初等部の頃のクラスメイトたちだね。ふふっ、久しぶり」



 男子の中で何人かが恥ずかしそうに頭を下げていた。

 それを見て、部長がやはり爽やかに笑って、



「同い年とはいっても、ここでは先輩後輩だ。もちろんタメ口なんて厳禁。ボクシング部は他の部活に比べても上下関係が厳しいからね。ケガがつきものの競技なんだ。そこらへんはかなり厳格だから、君たちも気をつけるように」



 部長の言葉に背筋が引き締まる。

 それはそうだ。同い年といっても経験が違う。初等部の頃に顔見知りの奴らは複雑かもしれないけど、先輩は先輩なのだ。かつてクラスメイトだった女子の下で絶対服従を誓わなければならない。



「それでは、まずはクラス分けをしようか」



 部長が両手を腰にやって言う。



「経験者はこちらに、ボクシング初心者はそちらに並んでもらおうかな。経験の有無に応じて練習メニューを変えるからね」



 俺は迷いなく経験者の列に並んだ。

 男子の中で経験者は俺のほかに2人しかいなかった。ほとんどが初心者の列に並んでいく。しかし納得できないことがあった。それは、



「カナタ、おまえ、なんで経験者のほうに並んでるんだ?」



 カナタは小さい頃に数年間だけボクシングをやっただけだった。

 幼少の頃なのでボクシングの練習もおままごとみたいなものだった。それなのに経験者の列に並ぶなんてどうかしている。



「え~、あーしら女子は当然経験者にきまってるっしょ?」

「なんだと?」

「ひととおりボクシング教材を見てやればすぐにできるし。男子とは違うんだからさ」



 よく分からないことを言う奴だった。

 けれどカナタだけでなく、女子連中は全員が経験者の列に並んでいた。大きな体に見下ろされると威圧されているように感じられて気後れする。しかし言ってやらないといけなかった。



「ボクシングを甘く見るなよ。本見てできれば苦労しないよ」

「え~」

「いいかカナタ、ボクシングっていうのは奥が深いんだ。力が強いだけじゃ勝てないんだよ。日々の鍛錬の積み重ねがあってはじめてボクシングの技術を身につけることができる。おまえみたいな素人は、初心者の列に並ぶべきなんだ」

「は? なにそれ?」



 すぐにカナタが切れる。

 その冷酷な瞳が俺を見下ろす。

 ガクガクと足が震えるがなんとかふんばった。

 俺はボクシングの経験においてカナタよりも上なのだ。言うなれば先輩みたいなもの。当然、ボクシングの技術において負けるわけがない。力で負けてもボクシングでは負けない。俺は腹に力をこめて、こちらを見下ろしてくるカナタを逆に睨みつけてやった。



「ふむ。ちょうどいいかもしれないな」



 俺たちの会話を聞いていた部長が爽やかに続けた。



「よし。ならば最初にスパーリングをしてもらおうか」

「す、スパーですか?」

「そうだ。君とカナタ君で試合をしてみたまえ。それですべて分かる。ふふっ、上下関係を構築するのは、早ければば早いほどいいからね」 



 *



 突然の模擬試合。

 けれどこれはチャンスだった。

 ボクシングでは俺のほうが妹よりも強いことを思い知らせることができるチャンスだ。力でも頭でも勝てないがボクシングでなら負けない。最後の誇りを守る。俺は絶対に負けるものかと固く決意していた。



「準備はいいか、カナタ?」



 ボクシンググローブをはめ、リングの上に立って、妹にむかって言う。

 カナタも既に着替えをすませて、ボクシンググローブを装着していた。両拳を突きあわせて、大きめのグローブをパンパンと鳴らしながら、大柄な妹がリングの上に立っている。



「いつでもいいよ~ん。あー、こんなに早くにーにのこと殴れるなんて、最高なんだけど」



 ギラギラした瞳を浮かべている。

 さきほどまで不機嫌だったのが、もう機嫌がなおっている。ヘソ出しタンクトップに、生足を露出させたホットパンツという格好。その大きくて筋肉質な体を前にすると、やはり俺の体が怯えてしまうのを感じた。



(カナタのやつ、あいかわらず、すげえ体だ)



 まさに推進力の塊といった感じ。

 筋肉質なのに脂肪が乗って女の体が強調されている。カナタがトントンとリズムを刻んでジャンプするたびに、大迫力のKカップ爆乳が揺れている。太ももの柔らかそうな肉もプルンプルンと揺れ、巨尻まで振動している。まさに発育した女の体だ。その重量感を前にして、俺は興奮するよりも恐怖を感じていた。



(これまで受けてきた調教で女の体に恐怖するようになってる)



 そのように調教されている。

 この肉体を前にしただけで足が震えそうになる。

 けれど今はボクシングの時間なのだ。

 どんなに強い肉体をもっていても技術がなければ意味がない。ボクシングは力が強ければ勝てるような野蛮なスポーツではないのだ。長年の努力で身につけた技術をもってすれば、初心者同然の妹に負けるはずがなかった。勝つ。絶対に勝つんだ。俺は再度決意を固めていった。



「それでは、試合開始ッ」



 カンッ!



 部長の合図と共に、俺は構えをとりつつ背後に引いた。

 アウトボクシングの構えだ。フットワークを活かしてリング上を機敏に動き、ジャブで牽制しながら細かくポイントをとっていくスタイル。間違ってもダウンなんて狙わない。身体能力で妹に勝てないことは分かりきっていた。けれどこれはボクシングなのだ。非力には非力なりの戦い方というものがあった。



「シッ! シッ!」



 動きながら左ジャブを放っていく。

 速度重視で体重が乗っていないパンチ―――それがカナタにあたる。あたった瞬間にはもう俺の体は移動していて、カナタの体を中心にして円を描くように素早く立ち回る。カナタが意外そうな表情を浮かべるのが見えた。



「へー、やるじゃん、にーに」



 ボクシンググローブを顔の前で構えた妹が、



「やっぱ真面目なだけあって基本に忠実だねー。そんなに動きがいいとは思わなかったよ」



 ニヤニヤ笑った妹が「でも」と、



「もう見切っちゃった。かわいそうだけど、にーにのパンチ、あたらないよ?」



 そう言ってカナタが構えを解く。

 腕をダランとさせてノーガードになった妹がニンマリと笑っている。何を考えているのか分からないが関係ない。むしろこれはチャンスだ。慢心しきっている妹に引導を渡してやる。俺はさらに素早くステップを踏みながら、動きを完全に隠した上で、左ジャブをカナタの顔面めがけて放った。



「ほいッ♪」



 スカッ!



「な!?」



 左ジャブが空を切る。

 直撃の一瞬、カナタがひょいっとばかりに余裕そうに顔をそむけて、俺のジャブを避けてしまったのだ。必ずあたるはずだと思っていたパンチが避けられてしまったことが信じられなくて、俺は動揺してしまった。



「ね、余裕だったっしょ?」



 ニヤニヤ笑いながらカナタが言う。



「にーにのパンチなんて一発見れば余裕なんよね~」

「う、嘘だ」

「嘘じゃないって。ぷぷっ、にーにって真面目だからさー、体も真面目なんだよ。素直っていうか、筋肉の動きと視線見てれば、次に何くるかなんか簡単に分かるんだもん」



 筋肉の動き?

 視線?

 分からない。いや、確かに筋肉や視線の動きから次の動作を予測するというのは聞いたことがある。聞いたことはあるが、そんなのは熟練者も熟練者、プロテストに合格する上澄みたちがようやく身につけることができる技術だった。間違っても、幼少の頃に短期間、おままごとみたいなボクシングをしてただけの奴ができることではない。



「うわあああああッ!」



 俺は必死にジャブを放った。

 これまで以上に素早く動く。キュッキュッとリングが鳴る。シッ! シッ! とジャブを繰り返す。けれども、



「あはっ、ノロマ~」



 ぜんぶダメだった。

 ことごとく避けられる。

 スカッ! スカッ!

 まるで手応えがない。それでも殴る。相手は構えもとっておらず両腕をダランとぶら下げさせて、かかとを地面につけて立っているだけなのだ。あたらないわけがない。



「シッ! シッ!」



 これまで積み重ねてきたジャブを愚直に繰り返す。

 フットワークを重ねる。

 ・・・・・・けれどもやっぱりあたらない。

 嘘だ・・・・・嘘だ・・・・・・。

 息があがっていく。

 ついに俺の足が止まってしまった。

 

「もう終わり?」



 その声にビクンと背筋が震える。

 妹がニヤニヤと俺のことを見下ろしていた。



「じゃ、今度はこっちからいこっかな~」

「う」

「アウトボクシングの基本って奴を教えてやんよ」



 そうしてカナタが初めて構えた。

 ボクシンググローブが禍々しく輝いている。

 そしてフットワークを使って動き出す。俺を中心に円を動くようにステップを重ねていった。



(は、はやいッ!)



 その巨体が超スピードで動きまわっていく。

 俺の右側にまわりこもうとしているのを見て、そちらに体を向けようとした瞬間、カナタの体が反転して左側へ滑っていく。変幻自在のトリッキーなステップ。その動きをとらえることもできない。しかも、



(カナタの体、やべええッ♡)



 ステップを踏むとカナタの体が揺れる。

 それはもうありとあらゆる場所が揺れていた。タンクトップから谷間丸出しになったKカップ爆乳が「ブルンブルン♡」と蠱惑的に揺れ、皮下脂肪をたっぷりたくわえた太ももの肉が揺れる。圧倒的巨体。極上の女体。それが超スピードでステップを踏んでいる。俺は圧倒されてしまって、挙動不審になるだけだった。



「ほい、ジャブ」



 ばっしいんんッ!



 そんな超絶技巧のステップからジャブが放たれた。

 お手本みたいなパンチは技術の結晶に他ならない。ステップを踏みながらの左ジャブが、俺のガードに着弾して両腕が痺れてしまった。



(な、なんて威力だッ)



 今もジンジンと痛みを伝えてくる両腕。

 軽く放ったジャブ一発でこれなのだ。本格的にパンチがきたらどうなってしまうのだろう。俺は恐怖が先に立ち、ぐうっと両腕を顔面の前で固めてガードに専念するしかなかった。



「ほれ、ほれ」



 ばっしいんんッ!

 ぼごおおおおッ!



 巧みなステップからジャブが雨あられと降ってくる。

 そのすべてが顔面前で固めた俺の両腕ガードに着弾していた。威力のあるジャブをもらうのはまずい。だから俺もステップを踏んで逃げようとするのだがどうしようもない。俺よりも速く妹の体が躍動し、変幻自在のステップを踏みながらジャブを放ってくる。その素早さについていくことができず、俺はステップを踏むこともできず、ただただ両腕のガードを固く、防戦一方になるしかなかった。



「ほれほれ、どうした~?」

「うっ! ううッ!」

「防戦一方じゃん。足も止まっちゃってる」

「ウッ! く、クソッ!」

「ほらほらー、逃げてばっかじゃ勝てないよ? にーにもパンチ打ってこいよ」



 妹の言うとおりだった。

 このまま手数で押されてしまえばポイントでも負けてしまう。体格が違いすぎるカナタ相手にダウンをとることはできないだろう。ならば手数で負けることは敗北を意味する。俺は固めていたガードを解き、苦しまぎれの左ジャブを放った。しかし、



「きゃはっ、届きませ~ん」



 俺の左拳が空を切る。

 カナタは避けることすらしていない。

 単純に俺のリーチではカナタまで届かないのだった。それだけの距離が空いている。それなのに、



「ほい、ほい」



 ばしいんんッ!

 バギイイイッ!



 カナタのジャブだけは俺の体に着弾していた。

 ニヤニヤと余裕の表情のままで妹がジャブを放ってきて、殴られる。

 俺も負けじとジャブを放つのだが「スカッ! すかっ!」と空を切るだけだ。当たらない。届かない。妹のパンチは届くのに、俺のパンチは届かない。その原因は明らかだった。



「ぷぷっ、にーにの短い腕じゃダメダメだよね~」



 ニンマリ笑ったカナタがジャブを繰り出しながら言う。



「ほら、あーしの長いリーチなら届くのに」



 シッ!

 ぼごおおおッ!



「にーにの短いリーチじゃ届かない」



 スカッ!

 スカッ!



「あーしは絶対に殴られることのない安全な場所で、にーにのことをタコ殴りにできるってわけ。ほれほれ~」



 ボゴオオッ!

 べっぎいッ!



 殴られる。

 巧みなステップを踏みながら、遠い場所からジャブを放ってくる妹。俺も苦しまぎれにジャブを放つのだが、空振りを繰り返すだけだった。遠い。妹の肉体があまりにも遠かった。



「リーチの違いって、残酷だよね?」

「ううッ」

「それもこれも、にーにがチビだからいけないんだよ。妹よりもチビで貧弱だから腕も短い。ぷぷっ、そんな短いリーチでパンチ打っても怖くもなんともないよ? 玩具が猫パンチしてるみたいで笑えるわ~」



 ぼっごおッ!

 ばっぎいッ!



 俺の両腕のガードを粉砕しようとジャブの数が増える。

 ニンマリと笑ったカナタから一方的に殴られる。

 リーチの長い妹にタコ殴りにされていく。

 こちらがどんなにパンチを放ってもあたらないのに、カナタは長い腕を軽く振るうだけで俺のことを殴ることができる。体格差。年下の妹に負けているという屈辱でおかしくなりそうだった。



(あたらない・・・・・あたらないんだ・・・・・)



 リーチが違うのだからステップでカバーしようとする。

 カナタのほうに突進して絶望的なリーチ差をなくそうと素早く立ち回る。けれども、



「あはっ、ノロマー」



 すかさず俺よりも速く、優雅に、ステップを踏んだカナタが離れていく。

 さらには牽制のためのジャブが俺の体に着弾して、それ以上の前進ができなくなった。ステップでも負け、完璧な牽制のジャブで足が止まる。アウトボクシングのお手本のような動き。リーチの長さだけではなく、ボクシングの技術でも負けている。それを分からされて、背筋がビクンッと跳ねた。



(俺じゃ・・・・・・勝てない・・・・)



 再び防戦一方になる。

 両腕のガードを固めることしかできない。

 ジャブを放ってもあたらないのだ。ステップを踏んでも無駄。俺にできることは妹のジャブから身を守るために両腕のガードを顔前で固めることだけだった。まるで亀みたいになった俺を見て、カナタが「あーあ」とバカにしたように笑った。ぎゅううっと、カナタの右拳が強く握られたのが分かった瞬間、



「ほれ、仕上げ♪」



 ぼっぐううううううッ!



 豪快にカナタが踏み込んできた。

 それを認識できた時には既にカナタの右アッパーが俺の腹にめりこんでいた。ガードを上げすぎて腹部への防御がおろそかになっていた。一瞬、遅れて嘔吐感がやってきて、終わりだった。



「おえええええええええッ!」



 膝から崩れ落ちて、リングに倒れる。

 胴体が粉砕してなくなってしまった。

 そんな感覚になるほどのダメージ。リングの上で無様に体を丸めて殴られた腹部を守るように亀になる。両足が自然と「ジタバタ♡」と暴れて、それを見下ろした妹の爆笑を誘っていた。



「ダウンッ!」



 部長が告げる。

 カウントダウンが始まる。

 1,2,3・・・・・・。

 それを聞いても目がチカチカするだけだ。

 それだけカナタの右アッパーは強烈だった。

 腹へのパンチだけで男をKOしてしまうほどの威力。

 俺はえづきながら、なんとか立とうとして、それでもダメで、屈辱の10カウントを絶望しながら聞こうと、



「ほれ、起きろよ♡」

「ううううううッ」



 カナタが俺の髪の毛をわし掴みにして持ち上げてきた。

 強引に立たされる。妹に宙づりにされながら、両手で自分のお腹をおさえている惨めな兄の図。こちらをニンマリと鑑賞しているカナタの笑顔が恐ろしい。



「まだまだこれからなんだから、簡単にダウンするなよ♡」

「おえええッ! ううううッ!」

「うわっ、パンチ一発でえづくとか、腹筋なさすぎじゃね?」

「おえええッ! うっぐうッ!」

「まあいいや♡ ほれ、もう時間だからインターバル中に休みなよ♡ よかったな? ボクシング初心者同然の妹に1ラウンドKO負けなんて惨めな思いしなくて♡」



 ニヤニヤ勝ち誇りながらの言葉。

 カナタから強引に立たされなければ1ラウンドKO負けだった。そんなことはカナタも分かっているのだ。手も足も出ずにボロ負けした兄のことを、妹がニヤニヤと見下ろしていた。



 *



 1ラウンド終了を告げる鐘が鳴り、俺は自陣のコーナーになんとか戻った。

 右アッパーをくらった腹部は回復していない。

 ギュルギュルと腹が鳴っている。

 パンチをくらった内蔵が悲鳴をあげているのだ。腹筋ではカバーできなかったダメージが内蔵を痛めつけているのが分かる。それでもなんとか自陣に戻る。そこに設置してくれていたパイプ椅子に座り、うなだれる。目もうつろで痛みも激しい。それよりもなによりも、



(ううッ、は、吐きそう)



 パンチ一発でグロッキーだった。

 我慢しなくちゃ・・・・我慢しなくちゃ・・・・・なんとかゲボを吐くのだけは我慢しなくちゃ・・・・・・・そんな思いだけが頭をぐるぐるとまわる。意識を腹部に集中して嘔吐感をおさめようとして―――腹部に集中すると逆効果だと分かって気をまぎらわそうとしてもダメで・・・・・・「おっぼおおおッ」と何度かゲボが逆流しては口の中を満たし、イヤな匂いと喉の異物感でえづく・・・・・・口がふくれる・・・・・我慢しなくちゃ我慢しなくちゃ我慢しなくちゃ。吐くのはダメだ。なんとか飲み込もうと―――それでもダメで、俺はリングの上に、



「ほら、これ使え」



 そう言って差し出されたバケツ―――その中に逆流してきたゲボを勢いよく吐いてしまった。



「おえええええッ! おっぼおおおおッ!」



 吐く。

 胃の中身をぶちまけてしまう。

 リングの上で、妹に殴られて、吐瀉物をバケツに吐いていった。



「きゃはっ♡ 吐いた吐いた~♡」



 反対側のコーナーでカナタが笑っていた。

 パイプ椅子に腰かけ、優雅に足を組んでいる妹が、ニヤニヤ笑いながらこちらを鑑賞していた。



「あーしすごくね? パンチ一発でゲボ吐かしちったー♡」

「おえええッ! おぼおおおッ!」

「うわっ、エッロ~♡ ゲボ吐いて涙目になってるにーに、すっげえエロい♡ 写真とっとかなきゃ、あ、動画のほうがいいか♡」



 リング外からスマフォを受け取り、カナタがカメラを構える。

 ゲボを吐いている姿を記録化されてしまう。

 そんなのイヤだ。

 俺はなんとか、これ以上ゲボを吐かないように我慢、



「おっぼおおおおおおおおおッ!」



 無駄だった。

 吐ききったと思ったらまた逆流してくる。

 吐く、吐く、吐く。

 涙がバケツに落ちていく。

 その一部始終をカナタに見られる。いや、カナタだけではない。敵陣コーナーの女子部員たちみんなが俺のゲボ吐きを鑑賞している。美しい女性たちから鑑賞物にされている。それを自覚して泣き、ゲボと一緒に涙もバケツに落としていった。



「うううッ」



 最後に胃液だけになったゲボをバケツに吐ききって、なんとか終わった。吐瀉物まみれになったバケツを後生大事に抱えるようにして、うなだれてしまう。惨めだった。



「だ、大丈夫か?」



 後ろから先輩男子が声をかけてくれる。

 バケツをくれたのもこの先輩だった。

 鍛えられた肉体をした短髪の先輩。確か男子部員のまとめ役をしている人のはずだ。



「す、すびばせん・・・・バケツ・・・・こんなにしちゃって」

「そんなこと気にするな。ほら、これで顔を拭け」

「あ、ありがとうございます」



 バケツを回収しながら、濡れタオルを渡してくれる。

 その気遣いがとにかくありがたかった。俺は口元をぬぐってから、脂汗まみれの顔をごしごしと拭いた。



「・・・・すみません・・・・・すみません・・・・」



 なぜか謝罪の言葉が口から漏れてくる。

 誰にむかって謝っているのかも、何に対して謝っているのかも分からない謝罪が、口からあふれてくる。涙だけがボロボロと流れて、崩れた自尊心を濡らしていった。



「大丈夫だ。おまえだけじゃない」



 先輩男子が励ますように言う。



「俺もそうだった。2年前、入部した時にスパーリングでボコボコにされた。俺も経験者だった・・・・・・それなのに、ボクシングなんてやったこともない早乙女部長に、ひたすらボコられたんだ」



 そう言った先輩男子がブルっと背筋を震わせた。



「今ではサバッとした面倒見のいい部長だけど、最初の頃はすごかったんだよ。俺は練習相手として何度もボコられて、顔面を腫らしてない日のほうが少なかった。俺だけじゃない。ほかの男子たちもそうだ。みんなみんな、女の子様たちには勝てないんだよ」



 だから、



「気にするな。それよりおまえはよくやってるよ。女の子様相手にボクシングの試合になってたじゃないか。それだけやれれば、ほかの女の子様にも気に入ってもらえるだろう・・・・・・まあ、それが不幸なのかもしれないが・・・・・・」



 カンッと鐘が鳴る。

 2ラウンド開始10秒前を告げる合図だ。

 俺はプルプル震えながら立ちあがった。



「がんばってこい」



 先輩男子から背中を叩かれる。

 第2ラウンドが始まろうとしていた。



 *



「きゃはっ♡ にーにってば、もうズタボロじゃ~ん♡」



 リング中央で向かい合いながらのカナタの言葉。

 もう試合は始まっているというのに、カナタはニヤニヤと余裕そうな表情を浮かべて、俺のことを見下ろすだけだ。両腕をダランと下げてリラックスした様子で棒立ちしている。それに比べて、



(体が・・・・・重い・・・・・)



 俺は満身創痍だった。

 ぷるぷると足が震えている。腹への一撃だけで足にキテしまっているのだ。同じく震える両腕をなんとか自分の体の前で固める。顔面だけでなく、腹部も守らなければならない―――その恐怖で俺はガクガクと震えていた。



「アウトボクシングはあーしの圧勝だったね♡」

「ううッ」

「あれだけ息巻いてたのに、妹に負けちった♡」

「ああッ」

「ぷぷっ、アウトボクシングはもういいよね♡ 今度はあーしの得意なスタイルでやるかんな♡」



 ニンマリとした笑顔。

 恐怖で体がすくんだ瞬間、爆発的な瞬発力で、妹の巨体が間近に迫ってきた。



「おらッ♡」



 ブウンッ!



 大ぶりに振られた右アッパー。

 その迫力に怯えながらなんとか避け―――直撃をまぬがれて頬にかするだけで終わりッ!?



「う」



 ガクンと膝が崩れそうになった。

 かすっただけのパンチでダメージが残ったのだ。頬がヒリヒリと痛む。その風切り音の大きさが耳に残っている。きわめつけは間近で仁王立ちになった妹の巨体。かかとをつけてベタ立ちした山のような肉体が、俺のことを威圧していた。



「おらっ♡ おらっ♡」



 ブウウンッ!

 ぶんんッ!



 大ぶりのパンチが連続する。

 大迫力で俺の体にむかってパンチが迫ってくる。



「ひいッ! あひッ!」



 俺は必死になって避けた。

 あたったらタダではすまない。

 ひょっとしたら命を落とすことになるかもしれない。

 それほどの威力をもった拳であることは、かすっただけでダメージが蓄積されていくことからも分かる。これが直撃したら・・・・・・・・考えるだけでも恐ろしい。



(逃げなきゃ・・・・・フットワークをいかして・・・・・カナタから逃げなきゃ・・・・・)



 必死に足をつかう。

 大ぶりのパンチ地獄から抜け出して、安全圏に避難しようとする。



「おらおら~♡」



 そんな俺のことを追ってカナタがパンチを放ってきた。

 逃げる。パンチの軌道を避けて、右へ、左へと、右往左往する。リングの上では、逃げる男と追う女の図ができあがった。情けないけれどどうすることもできない。俺はパンチを避けることだけで精一杯で、自分の行動が制御されていることにも気づけなかった。



「あ!?」



 そして全てが終わる。

 妹のパンチから逃げて行き着いた先。

 逃げ場なんてないコーナーポスト。

 その地獄の一角に、俺はまんまと誘われてしまったのだ。



「ぷぷっ、にーにの動きを制御するのなんて簡単だね~♡」

「ううッ」

「あーしの思い通りに動いちゃうんだもん♡ コーナーポストに追いつめるなんて簡単簡単♡ アハッ、もう逃げられねえかんな♡」



 追いつめられてしまった。

 妹の圧倒的な巨体が目の前にある。背後にはコーナーポスト、右と左にはロープがあって、どこにも逃げることができない。圧迫感で押し潰されそうになる。怯えた俺のことを見下ろしたカナタが、ニンマリと笑った。



「おらっ♡」



 大ぶりのパンチが来る。

 「ひい」と悲鳴をあげながらなんとか避けた。

 けれども逃げられない。コーナーに追い込まれているので足を使うこともできない。すぐに次のパンチが来る―――避ける―――さっきよりも体の芯にあたる―――よろける―――まずい―――そんな思考が連続した最後、大ぶりで放たれた右拳が俺の顔面を勢いよく潰した。



 めっっしいいいいいいッ!



 顔面が陥没した。

 そうとしか思えなかった。

 顔面全体を大きめのボクシンググローブが覆い尽くして、潰してしまった。目も鼻も口も破壊され、鮮血が舞い、このままダウンする―――そう思った俺の体が、それでもなんとかリングに足をつき、ふんばっていた。自分でも今の状況が理解できない。



「ぷぷっ、モロにくらっても無事っしょ?」



 ニヤニヤとカナタが笑っている。



「このグローブ、特注品らしくてさー、弱い男子殴っても、致命的なケガにはならないってやつなんよね。だいぶクッション多めだから、殴っても簡単には壊れない」



 大きめのボクシンググローブを見せつけながら言う。

 その言葉どおり、真っ赤に輝くグローブは普通のものよりも大きかった。曲線を描いた丸々としたフォルム。それはどこか、無骨な男の肉体というよりか、柔らかそうな女性の肉体を思わせるような、そんなボクシンググローブだった。



「ま、殴り続ければ、当然、相手は壊れるけどね♡」

「ひ、ひい」

「にーにのこと、このダメージの残らないグローブでボコって、ボコって、ボコりまくって、ぶっ壊してやんよ♡」



 そうして始まったのはタコ殴りだった。

 カナタが大ぶりでパンチを放っては俺の体を壊していく。

 その迫力の前に俺は防戦一方になってしまう。

 フットワークを使おうにも、コーナーに追い込まれているせいでそれもできない。



(せめてガードしないと!)



 両腕を顔面の前で固める。

 身をかがめて妹のパンチに備える。

 これだけガードを固めれば少なくとも顔面を殴られることはない。

 カナタがニンマリと嗤った。



「おらっ!」



 ぶうううんッ!

 めっしいいいいいいッ♡



 無駄だった。

 俺が一生懸命に固めた両腕が粉砕される。

 一発のパンチだけでガードが壊され、そのまま妹のボクシンググローブが顔面にめりこんだ。鮮血が舞い、脳震盪の影響からか頭がクラクラする。目の前でカナタが嗤っていた。 



「あーしのパンチ、ガードもできないっしょ?」

「ひい♡」

「コーナーにおいつめられてるからフットワークを使うこともできない♡ つーかもう足にきてるから動けないだろ♡」

「ああ♡」

「はい、妹に完全敗北♡ ボクシング初心者同然の妹にボクシングで負けちゃった♡ にーにはマジでザコだな♡」



 興奮した妹の姿。

 兄である俺を殴って性的興奮を感じているサディスト。

 そのニンマリした笑顔が恐ろしくて仕方なかった。カナタがギラギラと輝いた視線を俺にむけてくる。



「タコ殴りにしてやんよ♡」



 カナタが殴りかかってきた。

 大ぶりのパンチだけでなく、技術を極めたようなプロ顔負けのパンチが俺の顔面と体中を殴りまくっていく。

 ジャブ一つとっても威力が段違いだ。逃げようとしてもコーナーに追いつめられているから無理。反撃しようにもリーチが違いすぎるので、カナタのパンチは届いても、俺のパンチは届かない。どうすることもできずに殴られまくっていく。



 ぼっごおおっ♡

 バッギイイッ♡

 めっじいいッ♡

 グッジャアッ♡



「ひっぎいいいッ♡」

「ぐえええええッ♡」

「ああああああッ♡」

「オボオオオオッ♡」



 リングの上で殴られ、悲鳴をあげる。

 視界が歪んで、頭がグラグラする。

 目の前のカナタはニンマリと嗤ったままだ。

 またパンチが俺の顔面に突き刺さって壊されていく。



(勝てない・・・・・勝てないんだ・・・・)



 ボクシングでも勝てない。

 身体能力でも勉強でも勝てない俺は、これまでの人生のすべてをかけて取り組んできたボクシングでもボロ負けしている。初心者同然の妹に手も足も出ない。絶望で足が止まってしまい、なぜか勃起していた。



 ボッゴオオッ♡

 ばぎいいいッ♡

 ぐじゃああッ♡



 カナタのパンチが炸裂するたびに、俺の心にヒビが入っていく。

 兄と妹という関係性すら殴り壊されていく。

 妹のパンチを受けて俺という存在が消えていく。

 勝てない♡

 勝てない♡

 カナタ様には何をしても勝てない♡

 心が・・・・・・

 ・・・・・・・・完全に壊れる。

 カナタがサディスト全開で嗤った。



「うし♡ じゃあ、トドメ刺すか♡」



 ぐいっ♡



 カナタが大きく右腕を振りかぶる。

 次にくるのは右ストレートだ。

 妹の右腕が「ぼごおっ♡」と筋肉で膨張する。俺とは比べものにならない腕の太さ。それを見せつけられ、さらには禍々しいボクシンググローブの赤色が視界に入り、俺は狂ってしまった。



「ゆるじでええええッ♡ カナタ様あああッ♡ もうひゃめでええええええええッ♡」



 試合中なのに。

 これはボクシングの試合なのに。

 対戦相手に対して命乞いしてしまう。



「もう殴るのひゃめでくださいいいいッ♡」

「・・・・・・・・・・・」

「たじゅげでえええッ♡ おねがいいッ♡」

「・・・・・・・・・・・」

「死んじゃううううッ♡ 死んじゃうからああッ♡ カナタ様のパンチこれ以上くらったら死んじゃうからあッ♡」

「・・・・・・・・・・・」

「たじゅげでえええッ♡ たじゅげでくださいッ♡」



 右拳を大きく振りかぶったままの妹にむかった命乞い。

 年上の兄である自分が妹の慈悲を求めて泣き叫ぶ。

 しかし、サディスト少女にとって俺の命乞いは逆効果でしかなかった。



「あー、さいこ~♡」



 黙って俺の命乞いを堪能していたカナタが嗤う。



「まじでヤバい♡ にーに、命乞いの才能あるよ♡ あーし、すっげえ興奮したもん♡」

「カナタ様♡ カナタ様♡」

「これから毎日命乞いさせよ♡ ボクシングでブン殴って、ボコボコにして、命乞いさせる♡ あー楽しみー♡」



 ぎらっ♡



 カナタ様の視線が俺に突き刺さる。

 肉食獣が獲物に狙いを定めた時の瞳だ。

 草食動物がどんなに命乞いをしたところで百獣の王が耳をかすこともない。彼女たちは自分の欲望に忠実になって獲物を捕食する。カナタ様の右腕に「ぐいっ♡」と力がこもり、右拳が「ぎゅううッ♡」と握りしめられた音が聞こえた。



「死ね♡」



 ボッゴオオオオッ♡



 一瞬だけ俺の視界を覆うでっかいボクシンググローブが見えた。

 次の瞬間には顔面に右ストレートが直撃し、背後のポストに縫いつけにされた。

 右拳で顔面を覆われ、ポストに磔にされる。気絶した俺の体が「だらん」と脱力して垂れさがっていくのが分かる。それをニンマリとした笑顔で鑑賞してくるカナタ様の姿が見えた瞬間、俺の意識は落ちていった。



 *



「おら、いつまで寝てんだよ。とっとと起きろ」



 がしっ♡



 踏み潰され、俺の意識が目覚める。

 俺はリングの上で倒れていた。

 そんな俺の腹を乱暴に踏み潰しているのはカナタ様だ。

 まだ試合直後なのだ。

 そのことに戦々恐々とした。



「正座しろ♡」

「はひいいいッ♡」



 心が折られてしまった俺は従順だった。

 カナタ様の足下で正座する。

 そして見上げるのだ。

 俺の返り血まみれになった巨大な女体と、こちらを見下ろしてくるニンマリとした笑顔を必死に見上げる。



「ぷぷっ♡ 完全に心折れてるな?」

「ひいん♡」

「妹のこと「カナタ様」って呼んで媚び売りしてる♡」

「ああん♡」

「これで分かったっしょ? にーにはあーしには勝てない♡ 女の子様にはどんなことでも敵わない♡ それが分かったよな?」



 ニンマリと笑ったカナタ様が見下ろしてくる。

 その迫力満点の太ももとか、割れた腹筋とか、大きなおっぱいとか、そんな「女」としての体が強調されたカナタ様に見下ろされて、俺は完全屈服していた。



「はひいいいいッ♡ 男は女の子様には勝てましぇええん♡ カナタ様の勝ちでしゅうううッ♡」



 必死に媚び売りするしかない。

 目の前のカナタ様が顔を赤らめて「ゾクゾク♡」と背筋を震わせている。

 兄と妹。

 その関係性が完全に崩壊した瞬間だった。



「はい、試合は終わりでいいね」





 早乙女部長だ。

 一部始終を黙って見つめていた部長が、リング外から声をかけてくる。



「きちんと格付けできたみたいだから、男子にとってもいい経験になっただろう」



 ふふっと、早乙女部長が優雅に笑って、



「ではカナタくん、最後に忠誠をやろうか」

「え? ここでですか?」

「ああ。初めての忠誠をリング上で行わせるのさ。みんなが見ているところで忠誠をさせれば、今後の調教もはかどるからね」



 早乙女部長の言葉を受けて、カナタ様がますます興奮する。

 その視線が性欲まみれのギラギラしたものに変わっていた。



「にーに♡」



 静かにカナタ様が、



「忠誠しろ♡」



 ぐいっと、右脚を前に突き出す。

 正座した俺の右太ももの上にカナタ様の左足裏が乗る。

 無骨なロングブーツが俺の太ももをグリグリと踏みにじってくる。その力強さと迫力によって、俺の体が簡単に「びくんっ♡」と跳ねてしまった。



「忠誠のやり方は分かってるっしょ?」

「ああああッ♡」

「新入生歓迎会の時も動画見せられたもんね」

「ひいいいッ♡」

「あーしの足に口づけするんだよ。おら、忠誠を誓え♡」



 びくんっ♡



 俺の太ももを踏みにじったままの足裏の感触。

 そして、「忠誠を誓え」というカナタ様からの命令。

 妹の足に口づけする。

 地べたを歩いて汚いはずの足にキスをする。

 仁王立ちになった長身女性様の足下に膝まづいて、デリケートな唇を足に押しつけるのだ。それはどんなに屈辱的なことなのだろう。



(しかもリング下ではみんなが見てる)



 カナタ様と二人っきりではないのだ。

 早乙女部長や、他の女子部員たち、さらには男子部員の先輩たちが俺のことを見つめていた。そんな中で忠誠を誓う。妹の足にキスをする。それはあまりにも惨め過ぎた。あれほど心を折られていたはずなのに、俺はためらってしまった。すると、



「なに、嫌なの?」



 不機嫌そうにカナタ様が吐き捨てた。

 仁王立ちのまま俺のことを見下ろす妹の視線が不機嫌そうに冷たくなった。



「まだ足りなかったのか、おまえ」

「ひいいッ♡」

「あーしは別にどっちでもいいんだぞ?」

「あひいッ♡」

「2試合目やろっか? またボコボコにするまで殴る。今度はおまえの肉という肉がそげ落ちるまで殴り殺してやろうか」



 凄まれる。

 さらにはカナタ様がボクシンググローブを打ち鳴らし始めた。

 右拳と左拳をあわせて、「ボスンッ♡ ボスンッ♡」と打ち鳴らしていく。大きめのボクシンググローブ同士が潰れている。あの拳で殴られたらひとたまりもない。今度こそ殺されてしまう。そう確信させられた俺に、選択肢なんてなかった。



「ひいいいいんんんッ♡」



 カナタ様の足を両手でつかむ。

 掲げるようにしてカナタ様の足を持ちあげて―――そのまま足の甲にキスをした。顔を埋めて唇を押しつける。仁王立ちになった妹の足下で正座になったまま、両手でその足を持ちあげ、忠誠のためのキスを捧げる。惨めさで涙が流れ、体が「びくびくっ♡」と痙攣していった。



「あはっ、なんだ、ちゃんと忠誠できるじゃん♡」



 カナタ様がニンマリ嗤って言う。

 両手を腰にやって仁王立ちになったカナタ様が、忠誠の格好を維持する俺のことを見下ろしている。



「しっしっしっ♡ みんな見てるよ、にーに♡」

「ううううッ♡」

「にーにが妹の足にキスしてるとこ、みんな見てる♡」

「ううううッ♡」

「きゃはっ♡ へたくそな忠誠だけど大目に見てやるよ♡ 初めてだかんな♡ これから毎日殴り殺して、心バギバギに折って、最後に忠誠の練習してやっからな?」



 ぐじゃああッ♡



 蹴り飛ばされる。

 俺の顔面にカナタ様の大きな足裏が炸裂して、リングに転がってしまった。そんな俺のことを見下ろしてカナタ様が続けた。



「覚悟しろよ、にーに♡」



 ぐじゃあああッ♡



 あおむけに倒れた俺の顔面が踏み潰される。

 長身女性様である妹の大きな足裏で生き埋めにされる。

 その姿を他の女子部員たちが見つめ「くすくす」笑っていた。

 心が折られていた俺は抵抗することもなく、カナタ様に踏み潰されたままだ。妹の足裏様に強制的に忠誠を誓わされる。俺の瞳からは大量の涙が「ぼろぼろッ♡」と落ちてきて、サディストであるカナタ様を楽しませていった。




つづく