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 部活は引退していたので放課後は暇だ。

 英雄はさっそく次の日に道場に向かうことにした。

「変わらないな、ここは」

 郊外の住宅ひとつ建っていない一角にある道場。

 看板にはブラジリアン柔術の言葉と、協会に所属していることが分かるマークがつけられているだけの簡素なたたずまいだ。

 まさに、質実剛健。

 強さを追い求めた戦いの場所がそこにはあった。

「さっそく入るか」

 建物内へ。

 かって知ったる我が家とばかりに更衣室に向かい、ブラジリアン柔術の道着をひっぱりだした。

 中学時代から体格は変わっていなかったので、その道着はすんなりと体にフィットした。

「なつかしいな」

 初等部の頃から着慣れた道着。

 それを身につけるといつでも初心に戻れる気がした。背筋が自然と伸びて、心が澄み渡る。ああ、戻ってきたんだなと、英雄は感慨深く思った。

(それにしても、師範のあの言葉はどういうことなんだろうか)

 英雄は昨日から疑問に思っていた。

 師範の言葉。

 明日香のやっていることを止めるな。

 その意味が分からず、英雄としては困惑するしかなかった。けれども、道場に行けば分かるだろう。久しぶりの道場。そして、久しぶりの明日香との再開だった。彼女がどれだけ強くなっているのか、兄弟子として楽しみでもあった。

「行ってみよう」

 英雄はウキウキした気持ちで、道場に向かった。



 *



 更衣室から離れたところ。

 そこに、レスリングの試合会場を思わせる空間があった。

 かなり広く、試合をするのにも、練習をするのにも十分なスペースが広がっている。

 日夜、男たちの熱い熱気が繰り広げられていた聖域。

 強さを求め、毎日のように大勢の男たちがトレーニングに励んでいる場所。

 そこで英雄は信じられないものを見た。

「え?」

 最初、頭が理解できなかった。

 道場の中央。

 そこで、大柄な女性が男の首を締め上げ、宙づりにしていた。

「は?」

 女性はかなり背が高かった。

 少なくとも英雄とは比べものにならないほど高い身長であることは間違い。しかも、身長だけではない。それ以外のいろいろなところが大きかった。

(で、でかい)

 胸。

 道着からこぼれおちそうになっているおっぱいが、英雄の視界に飛び込んでくる。

 さらには下半身の充実具合もけたはずれだった。その女性は道着を改造して、下半身の道着の丈を極限まで短くしていた。そのせいで、彼女のムチムチかつ強靱な太ももが惜しげもなくさらされている。信じられないくらいに長い足。それを支える鍛え上げられた太ももとふくらはぎにはうっすらと筋肉がのっていて、見ているだけで圧倒されるくらいだった。

「ぐげえええええッ!」

 断末魔。

 それは女性に締め上げられている男があげているものだった。

 その顔には見覚えがあった。青年部で働きながら格闘技をしている男。それほど強いわけではないが、毎日まじめにトレーニングをしていた人だった。

 そんな成人男性が、手も足も出ずに女性に首を締められ、吊されていた。

 吊されている。

 その言葉どおりだった。

 男性の足は床についていない。

 首を締められ、宙づりにされているのだ。

 しかも、女性は片手一本で男の首をわし掴みにしていた。

 彼女は片手だけで成人男性を持ち上げ、その首を締め上げているのだ。 

「ぐげえええええッ!」

 苦しんでいる。

 顔を真っ赤にして、舌を飛び出させて、涙をぽろぽろ流しながら苦しみ続けている。

 男は自分の首を絞めている女性の手をつかんで、なんとかそこから脱出しようと必死だった。

 足をバタバタと暴れさせて、女性からの首締めから逃れようと滑稽に暴れまわっている。

 しかし、無駄な努力だった。

 男がどんなに暴れようが、女性はビクともしなかった。泰然と二本の足で立ち、ぶれることもなく片手で男を吊して、締め上げていくだけ。

 ピクピクと痙攣が始まる。

 じたばたと暴れていた足が弱々しくなっていく。

 そして、男の両手がガクンと下に落ちた。

 墜ちたのだ。宙づりにされたまま、男は気絶してしまった。

「あは、よわっ」

 弾むような声。

 幼い。

 そう感じさせる声だった。

 その声には聞き覚えがあった。

 どこだろう。

 英雄は疑問に思う。

 その女性。

 いや、少女。

 英雄は彼女の顔をその時はじめて見上げた。

 かなり幼い。

 体は大きいのにその顔立ちは無邪気そのものに見えた。男を片手だけで締め落としたというのに、そこにはニコニコとした純粋無垢な笑顔しか浮かんでいなかったのだ。

 しかし、この顔―――

 どこかで見たことがあるような・・・・・・・。

 そんな具合に英雄が困惑していると、少女が英雄に気づき、満面の笑みになった。

「師匠っ! きてたんですね!」

 無邪気に喜んだ少女。

 彼女はつかんでいた男の首を投げ捨てると、そのままこちらに歩いてきた。

 その顔立ち。

 その声。

 なにより、師匠という言葉。

 そこでようやく、英雄は目の前の少女が誰であるか思い至った。

「あ、明日香か?」

「そうですッ。お久しぶりです、師匠」

 笑顔で明日香はそう言った。

 英雄はそんな彼女のことを見上げるしかなかった。

 自分よりも格段に背が高い妹弟子。

 肩幅も、体の分厚さも、その筋肉量だって自分よりも勝っていることが一目で分かる成長しきった肉体。英雄は呆然として、成長した明日香のことを呆けた顔で見上げ続けた。


つづく