何かを致命的に忘れているような気がする。

 なぜか舌がうまく動かない。

 朝起きると「おはよう」の言葉も「おひゃほお」になってしまって、それがだいぶ長い時間続いた。妙にむらむらして仕方なかった。脳裏にむちむちな太ももと大きなおっぱいの映像がこべりついていて離れない。

 そんな状況になっても、俺は部活のために学校に行くことにした。

 土曜日の島はいつにも増して閑散としていた。人気というのものがないのだ。俺は自転車を走らせ、学校へと向かい、バスケ部の部室に入った。


「おう、おはよう春信」


 先に来ていた男が声をかけてくる。

 その声を聞くまで、そいつが朝倉だとは気づけなかった。


「おまえ、どうしたんだよその顔」


 朝倉の顔はパンパンに腫れ上がっていた。

 まぶたさえ見えないほどで瞳がほとんどふさがっている。


「ハチだよハチ。顔刺されちまってな」

「大丈夫なのか?」

「ああ、問題ない。まだズキズキするけどな」


 とても大丈夫そうには見えなかったが、本人が言うなら大丈夫なのだろう。

 俺たちは着替えを手早く済ませた。ジャージに着替えて、バッシュに履き替える。今日も部活が始まるわけだが、気分は憂鬱だった。


「また二人で部活か」


 部員は二人しかいない。

 それでやれることは限られていた。今日もワンオンワン地獄になるだろうことは明白だった。昔はもっと活気に満ちていて、ほかにも部員がたくさんいたはずなのに、なぜ二人っきりになってしまったのか。


「いきなり転校生とか現れて部活に入ってくれねえかな」


 朝倉も同じように考えていたようで、二人だけでは広く感じる部室を見渡しながら言った。

 主人を失った20名分のロッカーが寂しげに佇んでいる。ロッカーの中にはバッシュやら私物やらもあるのだが、今となっては誰がそこを使っていたかも分からない。


「まあ、この時期じゃあ無理だろう」

「そうだよな。ま、いないもんは仕方ないか」

「ああ」


 頭がずきずきした。

 島の人口は減りに減っている。

 同年代の男子といえば、3年B組の残された同級生だけなのだ。これでは部活を維持することだってできないだろう。そこまで考えて、俺はあることを思いついた。


「ていうか朝倉、おまえの弟にきてもらうわけにはいかないのか?」

「は?」

「ほら、小学6年になる弟だよ。確か、元幸だったか? あいつもミニバス入ってるんだろ? 小6じゃあ体格に差がありすぎるかもだけど、いないよりはマシだろう」


 俺の言葉にポカンとする朝倉だった。

 俺を心配するかのように目の前の男が口を開いた。


「おまえ、何言ってるんだよ。弟?」

「ああ、そうだよ。なんか変なこと言ったか、俺」

「俺に弟なんていないぞ?」


 がつんと頭が殴られた。

 頭がずきずきする。

 ああ、そういえばそうだった。俺は何を言ってるんだろう。


「悪い。なんか勘違いしてたみたいだ」

「しっかりしてくれよ。俺たちの下の代がこの島にいないなんて常識じゃねえか」

「そうだよな。そうだった」

 
 頭がずきずきする。

 どうやら新入部員に入ってほしいという気持ちが暴走してしまっていたようだ。俺たちは広々とした部室を後にして、体育館へと向かった。


 *


 ランニングをして体を動かす。

 柔軟体操で体をほぐす。

 二人でパス練とシュート練をしていく。いつもの決まりきったルーティーン。もはや倦怠感すら覚えるようになった動作が終わって、あとはワンオンワンでの実践練習だ。

 それを見計らったように、玲奈が体育館に現れた。


「お、やってるね~」


 なぜかその声に体が震えた。

 隣の朝倉も同じのようで、玲奈の存在に気づくと、ガクガクと体を震わせ始めていた。

 なぜ震えているのか自分でも分からなかった。今すぐここから逃げろと本能が圧倒的熱量をもって命令してくる。それは玲奈が俺たちに近づいてくるほどに強くなっていった。


「ねえ、今からワンオンワンやるんだよね」


 玲奈が笑顔で言った。

 その体。

 制服に身を包んでいるのに隠しきれない肉体美。ムチムチの太ももは見るからにエロいが、その皮下脂肪の下には恐るべき筋力が隠されているのだ。制服を突き破ろうとしている巨大なおっぱいだって、男を簡単に殺す凶器に変わる。高い身長は、それだけで俺たちと玲奈の性能差を教えてくれた。


「ねえ、どうしたの二人とも。急に黙って」


 怪訝そうに玲奈が言った。

 俺は我に返って弁明するように口をひらいた。


「あ、ああ、悪い悪い。なんかちょっと疲れてるみたいでな」

「大丈夫? 顔真っ青だよ? 朝倉は・・・・・・ぷぷっ、すごい顔になったね~。笑えるわ」

「ひ、ひでえなおい。こ、これは」

「ハチに刺されたんだよね。知ってるよ。それにしても、ふふっ、一晩たってもそんなに腫れたままなんだね。もう、ずっとその顔のままでいたら?」


 笑いながらの言葉。

 俺たちの体はなぜかガクガクと震えたままだった。


「そんなことより、ワンオンワンなんだよね?」

「あ、ああ。そうだよ」

「じゃあさ、それ私もまぜてよ」

「は?」


 玲奈は笑いながら、


「私対二人でバスケの試合しよ。ほらほら、はやくはやく」


 *


 玲奈の提案で試合をすることになった。

 玲奈は素人だ。これまでバスケ部に入部したこともない。バスケットボールに触れたことがあるかだって怪しいものだった。

 そんな素人と試合をするなんて普通ならありえなかった。ましてや、玲奈一人と俺たち二人で戦うなんて無謀というものだ。

 しかし、玲奈の提案を断ることはできなかった。俺たちの体は玲奈の言葉を無条件に肯定してしまっていた。文句や悪態を一つもつくことができずに、そのまま試合をすることになった。

 そこで俺たちは完膚なきまでに敗北した。


「あはっ、おそっ」


 玲奈が笑って、俺たち二人のディフェンスをかいくぐってドリブルをする。

 その高身長から繰り出される豪快なドリブルは、俺たちの体をいとも簡単にはね飛ばして、そのままレイアップシュートを決める。吸い込まれるようにしてボールがゴールに入って、簡単に得点を許してしまった。


「シュート打っても無駄無駄~」


 玲奈の守備。

 俺と朝倉のパス回しを正確に読み切り、最後のシュートが放たれた瞬間に勢いよくジャンプ。そのまま、蠅たたきで蠅を殺すみたいな勢いでボールを叩き落としてしまった。てんてんと転がるボールが、俺たちのみじめさをさらに高めるようだった。


「ふふっ、ちっちゃいね~」


 完全に舐めた態度になった玲奈がボールをもった片手を大きく上にあげて俺たちと対峙した。

 その高さ。

 俺たちが手を伸ばしても到底届かない。

 ぴょんぴょんとジャンプをしても指先すらボールに触れることはできなかった。俺と朝倉は玲奈にむらがる虫のように跳ねては、その体格差の前になすすべもなかった。


「やっぱバスケは体格っしょ。君たちみたいな貧弱な体じゃ~、素人の私にも勝てないんだよね」


 ニンマリ笑った玲奈が言う。

 片手を上にあげながら、ぴょんぴょん跳ねている俺たちを高見から見物していた。心底バカにしたような瞳が、俺たちの惨めさをさらに増した。


「無駄な努力、ごくろう様」


 玲奈が言っていきなりドリブルを始めた。

 その迫力の前に、俺と朝倉は仲良くふっとばされて地面に仰向けになる。

 そんな俺たちを置き去りにして、玲奈が豪快にジャンプをすると、これまで見たこともない迫力でスラムダンクシュートをかました。

 ドッスウウウウンンッ!

 衝撃音。

 ゴールにたたき込まれたボールが地面に叩きつけられる。さらに玲奈はリングを掴んだまま、スラムダンクシュートの余韻で体をゆさゆさと揺らしていた。

 ゴールがありえないほどしなって、ぎしぎしと不穏な音を響かせている。玲奈はまるで勝ち誇るようにして片手でリングをつかんだまま、俺たちのゴールにぶらさがっていた。

 彼女は制服姿のままだ。上履きだって体育館シューズで、俺たちみたいな専用のバッシュもつけていない。動きにくい格好なのに、彼女は俺たちを寄せ付けない力をもっていた。


「ふふっ、ザ~コ」


 玲奈がぶらさがりながら俺たちのほうへと振り返って笑った。

 その笑顔と言葉を聞いているとなぜか頭がズキズキした。

 この光景にはどこか見覚えがあった気がする。暗い場所。潮の匂い。波音が荒々しく響き、男の絶叫が間断なくあがる空間。


「じゃ、続きやろっか」


 俺が物思いに沈んでいると、いつの間にかリングを解放して俺たちの近くにきていた玲奈が言った。

 その高身長。

 俺たちよりも優れた体格。

 そんな存在を前にすると、俺たちは萎縮してしまうのだった。

 彼女の視線から逃れるようにしてうつむく。

 見えてくるのは彼女のムチムチの太ももだ。その長くもたくましい足と俺たちの貧弱な足を見比べると、ますます惨めになった。


「100対0までやるからね。ほら、とっととする」


 玲奈が笑っている。

 俺たちは絶望しながら彼女につきあうしかなかった。


 *


「ほい、100点めっと」


 ドッスウウウウンンッ!

 豪快なスラムダンクシュートがきまって終わった。

 彼女はそのシュートを気に入ってしまったらしく、得点はすべてダンクシュートだけであげられたものだった。

 そのシュートが来ると分かっていてもどうしようもなかった。俺たちはゴール前に固まって玲奈の体を妨害しようとするのだが、そのたびに地面に吹っ飛ばされて、倒されるだけ。

 最後のダンクシュートをおえてリングにぶらさがっている玲奈。

 俺たちはそれを見上げる形で、ゴールポストの真下で仰向けになって倒れている。ゴールが悲鳴をあげている。もうやめてくれと命乞いをするようなミシミシという音が限界ギリギリで轟いていた。


「私の圧勝だったね」


 そうニンマリ笑って言って、玲奈がリングから手を放した。俺たちの間近に着地した彼女の体。体育館が揺れたような迫力で立った玲奈が、倒れ込んだ俺たちを見下ろす。


「100対0って、もう試合になってないじゃん」

「う、ううううう」

「お前らは、素人の女に手も足もでずに完敗したんだよ? 恥ずかしくないのかな?」


 辛辣な言葉が降り注ぐ。

 俺たちは何も言えず黙ってうつむいてしまった。


「黙ってないで答えろよ」


 ドッスウウンンンッ!


「ひいいいいい」


 朝倉の頬をかすめるように直蹴りが炸裂する。

 その豪快な蹴りはそのまま朝倉の背後の壁に直撃した。ちょうど壁ドンでもされているような格好。違うのは男女の立場が逆で、しかも壁に突き刺さったのは手ではなく足であるということだった。


「ねえ、ザコのお前らがわたしの言葉無視していいわけ?」


 冷酷な声。

 頭がずきずきする。

 それよりも何よりも、俺たちは玲奈の太ももに釘付けになってしまっていた。

 今も壁ドンの格好のまま制止している彼女の太もも。制服のミニスカートから伸びる長い長い足。ムチムチとしているのに、蹴りを放ったことによってその皮下脂肪の下の凶悪な筋肉が浮かび上がってきている。

 その迫力。

 その肉体美を前にすると、俺たちは恐怖だけではなく崇拝にも似た感情を抱き、まるで神様でも仰ぎ見るようにして玲奈の太ももを見上げてしまうのだった。


「あはっ、二人とも何よその顔。私の太もも凝視しちゃってさ」


 玲奈が笑った。


「そっかそっか。君たちは私の太ももに夢中で集中できてなかったんだね。ふふっ、そんなに良いかな、わたしの太もも」


 壁ドンの格好のまま、玲奈が見せつけるようにしてスカートをまくしあげた。

 パンツが見える寸前までスカートがあげられると、彼女の凶悪な太ももの付け根までが露出する。小麦色に焼けた肌がテカテカと輝いていて、まるで宝石みたいだった。


「ふふっ、この太もも、こんなこともできるんだよ」


 見てて。

 玲奈が笑うと、バスケットボールを手にして立った。それを太ももの間に挟み込む。大きなバスケットボールのはずなのに、玲奈の圧倒的な太ももに挟まれると、小さく見えた。


「ほい」


 ぎゅううううううッ!

 かわいらしいかけ声と共に太ももに力がこもる。

 その二本の足にうっすらと筋肉の筋が浮かび上がって、さらに玲奈の太ももが太くなった。

 もはやバスケットボールは玲奈の太ももに埋もれる格好になっていく。

 へこんで、形が変わってしまっていくボール。俺たちは信じられないものを見るかのように、俺たちのバスケットボールが処刑されていく光景をまじまじと見つめた。


「潰しちゃいま~す」


 ぎゅううううううッ!

 ぷしゅっという音が響いた。

 それが断末魔のように続いた。

 ベコンとボールが潰される。

 ぷっしゅううううっという音がどこまでも続いていく。

 強靱な太ももの筋肉。それが固いバスケットボールを潰していくのだ。

 ニンマリとした笑顔が俺と朝倉に突き刺さる。

 最後にぐいっと力をこめると、ギュギュッギュと太ももと太ももがくっついた。

 ボールが太ももの中に完全に埋もれる。そのまま、見せつけるように、太ももをぐりぐりとすりあわせて、その間に挟み込んだバスケットボールだったものにトドメをさした。


「ほら、ぺっちゃんこになっちゃった。見える?」


 ボールだったものを掴んで取り出すと、それを俺たちに見せつけてきた。

 もはや原型すらとどめていない残骸。玲奈の太ももによってぺっしゃんこにされたボロ雑巾が俺たちの視界に飛び込んでくる。


「すごいっしょ、わたしの太もも」

「う、ううう」

「こんなこと、春信たちじゃ無理だもんね。それだけ力の差があるんだよ、わかるよね?」


 ぽいっとバスケットボールだった死骸を放り投げてくる。

 そのまま、俺の顔面横に直蹴りをかましてきて、またしても壁ドンをしてきた。

 目の前。そこにはパンツ丸出しにして太ももを丸出しにする玲奈がいた。体温すら感じられるほどの近距離にあの太ももがあるかと思うと、俺はビクビクと震えるしかなかった。


「ふふっ、そうだ。次の金曜日はコレでやろうかな」


 不敵に笑った玲奈が言う。


「楽しみだなっと。春信たちも楽しみにしててね」


 彼女は笑って、そのまま体育館を去っていった。

 後には、バスケットボールで素人にボロ負けした俺たちだけが残された。



つづく